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OTONA LOUNGE | Vol.7

熊澤 茂吉(熊澤酒造社長)石塚 沙矢香(現代美術アーティスト)

   Text : Ayumu Komatsu
Photo : Kumiko Suzuki

かっこ良くてチャーミングな大人たちの現在、過去、未来…、その生き様や考え方を垣間見ることができ、Mirroirウェブの読者の皆様にもっと楽しい「今」、さらにポジティブな「明日」を提供する対談企画です。

毎月のゲストが翌月にはお友達を招き、ホストになるリレー形式で展開していきます。
今回は、前回のゲスト、石塚沙矢香さんが熊澤酒造社長の熊澤茂吉さんをお招きしてお届けします。

熊澤茂吉さんは、湘南地区で明治5年の創業から代々続く熊澤酒造の社長。造り酒屋の枠を抜けだし、ビールやベーカリー、レストラン、近年では湘南地区の作家やアーティストなどの作品を展示・販売する「okeba gallery&shop」など、その活動は多岐にわたります。

二人の出会い

石塚沙矢香さん(以下、石塚):熊澤さんとは元々共通の知り合いがいて、その方を通して知り合いましたね。

熊澤茂吉さん(以下、熊澤):その方も現代アートの画家で、彼の個展の打ち合わせで石塚さんが同行されていたのがきっかけでしたね。それが2009年ぐらいだから、もう5年くらい前ですね。そこから意気投合して、現在に至ります。

石塚:なんだか少し照れますが、改めてお話をお伺いしたいと思います。そもそも酒蔵を継ぐことになった経緯はどのようなことだったのですか?

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ルーツに気付いて

熊澤:うちは元々何代も続く造り酒屋なんですが、父は継がなかったんです。父が違う事業を起こして、そこの息子として僕が生まれた。だから普通の造り酒屋と違って、就職か酒蔵を継ぐかということ以外にも将来の選択肢はありました。また、僕の就職活動中はバブルの真っ只中。何でもアリの状態だったので、逆に自分自身が何をしていいかわからなくなった。当時は就職活動をしていると接待されることがあってね。僕の時代は金融か商社がいちばん人気で、特に銀行や証券会社などがすごかった。下宿先のアパートまで黒塗りのベンツが迎えに来たり、それこそ毎日銀座を飲み歩いて、帰りに10万円もらったりとかね(笑)。

石塚:うわあ!そんな時代に就活したかった(笑) 熊澤さんは就職活動をどのくらいしていたんですか?

熊澤:2ヶ月ぐらいです。始めのころは面白がって面接受けたりしていたけれど、やっぱり自分がしたいことじゃないなと言うのはわかっていたので、今思うとすごく冷めていたかもしれない。時代のせいにばかりしてはいけないと思うけれど、僕らの周りは誰も何がしたいかなんて考えることもなく、ある程度の人生が何も考えないうちに、エスカレーター式に決まっていくようなところがあった。僕からするとサラリーマンになる必要がなかったから、就職活動をするうちにすごく戸惑いを覚えて、日本からいったん離れようと留学を決めた。それでアメリカに行って、自分が何をしたいかを考える期間をつくりました。

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石塚:すごい時代でしたね。ちょっと覗いてみたかった・・・(笑)。で、アメリカはどちらへ行かれたんですか?

熊澤:アメリカはMBAを取るという名目で行ったんですが、最初に選んだ土地がフロリダだった。だからその時点で勉強する気がなかったと言われても仕方ないのかな(笑)。最初の3ヶ月くらいはフロリダにいて、それから旅に出た。アルバイトしながらロサンゼルスまで旅を続けました。結局、トータルで1年ぐらいかけてまったく期限も持たず、アテもない旅。みなさん、あまりしたことないですよね?

しばらくアメリカで何がしたいかを考えながら旅をしているうちに、熊澤酒造が廃業するっていう話が実家から届きました。そのときに、アメリカの知人で信頼できる人に相談をしてみた。それで返ってきた意見が「どう考えても造り酒屋は将来性がないし、それを継ぐというのは時代錯誤だ」、という話。それまで、造り酒屋にそれほどの愛着があったわけはなかったのに、なぜかその時には物凄く熱いものを感じたんです。自分のルーツである熊澤家自体を否定された感じがして、それでがーっと悔しい思いがこみ上げてきた。そしてすぐに帰国を決めて家族会議が開かれました。帰国すると、当時会長のおじいちゃんと、社長の叔父さん、両親が待っていた。熊澤家的には、土地や建物の全てを売却して借金を返済するか、若い僕に全てを託すか、のどちらかという話になっていた。そこで、僕がやります!引き継いで頑張ります!と、つい名乗りを上げてしまった。するとおじいちゃんは、熊澤酒造を僕に全て任せるという誓約書を作っていたらしく、それに僕が署名して皆に了承させた(笑)。当時僕は23歳で、まだ社会に出たことがない若造だったけれど、おじいちゃんは喜んで、僕に期待してくれて、入社してからすぐに全部を任せてもらった。そこからは、僕が僕なりにアメリカで体験してきたこと、感じたものを取り入れながら、新旧混合の自分らしい熊澤酒造を表現しようと思った。

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母の言葉

石塚:そんな経緯があったんですね。やっぱりその出来事がひとつのターニングポイントだったんですね?

熊澤:そうですね。この一件は僕にとっての大きな転機でした。それとね、強く影響を受けたことと言えば、実は子供時代に母が言った言葉かな。僕は小中学校のころは勉強もできないし、オネショもしちゃっているし、ずっとダメな子で自分に自信がなかったんです。それでも母はいつも「あなたはできる子なんだから」って言ってくれた。学校の三者面談を受けると、先生にボロクソに言われたりするのだけれど、母はそこで「この子はできる子なんです!」といつも反論してくれた。自分に自信はないんだけれど、その言葉がどこか心の奥底にあって、「頑張ればできるんじゃないか」という気持ちを持たせてくれていたと思う。それとね、もうひとつ母から言われていたのが「あなたはとてもツイている」という言葉。その時に「あなたは運が悪いわね」と言われていたら、うまくいったこともそう思えず、失敗するとやっぱり俺は運が悪いんだと思ってしまい、ツイてない人間になっていたと思う。だから自分はやればできると思えたり、ツイていると思えるのは子供時代の母親の言葉の影響がとても大きいと思う。子供って母親に何気なく言われたことで、一生を左右されることが結構あると思うんですよね。だから自分の子供たちにも意識的にかける言葉は選んでいます。

石塚:そういう些細なことって意外と大切ですよね。私も小さいころに母親から、今日あった良かったこと幸せなことを話してごらんなさいって言われていました。落ち込んでいるときでも必ずひとつはいいことがあるからと見つけさせられる。それでいいことを見つけて元気になれていました。だから、今も結構ポジティブ思考!笑

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熊澤:さやかちゃんのお母様は意図的だったのかもな。すごい!笑

石塚:では、もうちょっと酒蔵のお話を伺いましょう。幼いころからお酒造りは身近に感じていたのでしょうか?

熊澤:当然敷地内でお酒をつくっているので、冬になれば米を蒸す匂いを感じたし、仕込みの風景は見ていた。それ以外にも熊澤家に伝わる独特の風習があり、実は子供のころから「俺は酒蔵の息子なのだ」という意識は持っていたんです。もしかしたら、それがあったから熊澤酒造を継ごうと思ったのかもしれない。

石塚:え?どんな風習?

熊澤:跡取り息子は6歳になると、お酒を一気飲みさせられる(笑)。いたって、シンプルでしょう。

古いものに魅せられて

石塚:小さいころから英才教育をされていたんですね(笑)。
話が変わりますけれど、熊澤さん、古いものがお好きですよね。レストランも古い家を移築されていますし。私も古いものが好きで、作品によく取り入れたりするんです。私もよく聞かれるんですが、なぜ古いものを好きになられたんですか?

熊澤:そうですね。僕は古いものにしか興味がない(笑)。これも子供時代に原因があるように感じるのだけれど、造り酒屋は昔から古いものが集まる場所なんです。でも、僕のおじいちゃんはそれが嫌いな人だった。おじいちゃんは、明治期のどんどん新しいものができてくる時代の人だから、新しいものへの憧れがすごく強かった。それで僕が小さいころに、よく蔵から古いものを出しては燃やしたりして処分しているところを見ていたんです。会社の敷地にも鉄筋コンクリートの建物だったり、アスファルトだったりと、どんどん新しいものに変えていこうとするおじいちゃんだった。そんな古いものを燃やされたり壊されたりする風景を見ていると、子供ながらに心がズキンとした。そこから古いものへの愛着が強くなり、年齢と共に大好きになっていきました。

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石塚:なるほど〜。それでも家を1軒丸ごと古いものに変えるなんて、本当に大好きですよね!いつの時代のものに魅せられる・・・とか、特にどこの国のものに惹かれるとかがあるのですか?

熊澤:そうですね…年代とかどこの国のものとか、こうだから価値があるっていうことはあまり関係なく、自分がそれに見て触れてキュンとくるものに惹かれます。それぞれのものとの出会いもよく覚えていますよ。でも親がそうだと子供は新し物好きになるから、そのバランスは難しいよね。この前息子に「お父さん古ければ何でもいいってもんじゃないよ」って言われちゃった(笑)。

こだわりのレストラン

石塚:そっか。そのバランス、難しそうですね…(笑)
現在の熊澤酒造はレストランやショップ、ギャラリーもあって、新旧のバランスがとても素敵だと思います。特に5月末にリニューアルオープンしたレストラン「モキチトラットリア」は、建物に入った瞬間、とっても感動しました!古民家の材を贅沢に使用していて、素晴らしい空間になっていますよね。是非、そのこだわりを教えてください。

熊澤:かなりこだわってつくりましたからね(笑)。特に設計図を作るのがすごく大変でした。現場の意見だけで作ると機能的だけど空間的には魅力的ではなかったり、コストばかり考えてもだめだから、構想を練るのがとても大変だった。それでもやっと図面ができて、現場もOKしてくれて、工事が進み始めても、実際にカタチになり始めるとイメージと違うものが出てくる。そこで設計をひっくり返す。ひっくり返して、やっとまたみんなが納得して、工事が進みだしたところで、やっぱりこっちの方がいい、とまた変更する。そんな形で何回も繰り返し、周囲をかなり振り回したと思います。

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石塚:それは大変なご苦労でしたね。そんなに何度も繰り返したんですか?

熊澤:そうですね…もう何回繰り返したかわからないぐらいですが、この間聞いたら、設計だけでも30回以上の変更だったみたい(笑)。その度に予算も増えるし、混乱もするしで、一番苦労したところです。でも、その甲斐あって、大変気に入っています。

石塚:30回(笑)!そのこだわりあっての、この空間なんですね。経営者はデザインだけでなく、お金の面まで考えなければいけないのは相当な苦労があったとお察しします。
酒造りの敷地にレストランやお店をつくる構想は、いつごろからお持ちだったんですか?熊澤酒造を継いだときからお持ちだったとか?

熊澤:造り酒屋は、現代の社会の中では無くなっていく方向にあったと思うんです。今や湘南地区の酒蔵は、熊澤酒造一軒しか残っていないですからね。だから普通の造り酒屋をやっていたら、今の時代、新潟の良い立地でも潰れかねない。特に湘南地区で生き残るなら、ただ普通にお酒だけを造るのはナンセンスだと思った。僕が造り酒屋を継ごうと思った理由は、湘南地区にも造り酒屋を残したかったから。熊澤酒造が残っていることで、湘南地区に何らかの良い影響を与え続けられる存在になりたいとずっと思っているんです。そのために酒蔵がどのような場所になるべきかを考えると、単にお酒つくって売るだけだと残っていけない気がした。この敷地全体を魅力的な場所にして、かつ、お酒がおいしくて地域に認められる存在になることが大切なのではないか、って思ったわけです。

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目的も期限も無い旅の果てに

石塚:人が集まるような、また人を集める吸引力のあるコミュニティを目指しているのかしら?まさに、そういった場所ですね、熊澤酒造は!

熊澤:そうですね。こうしたアイディアは実は学生時代にアメリカを旅しているときに見たものからきているんです。僕は当時、目的も期限を決めない旅をしていましたから、とことん自分の興味がある場所しか行かないし、見なかった。気になった場所は、必ずといっていいほど、そこにある土地をそのオーナーさんが思い思いに魅力的に活用していた。それは時に、骨董マーケットだったり、リゾートだったり、いろいろな要素で。なんとなく、そんな場所づくりに惹かれて、いつもワクワクした。だから僕が熊澤酒造に入った時から、魅力的な自分ならではの場所づくりをしたい!と思っていましたね。元々、酒蔵はその土地その地域の文化が集まる場所で、江戸時代は皆仕事が終わると自分のとっくりを持って酒蔵に集まり、野菜の交換をしたり、お祭りの打ち合わせをしたり、地域住民の交流する場所でもあったのでね。考えてみたら、特別なことではなく、自然なことなのだと思います。

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クマザワランド構想!?

石塚:酒蔵ってそんな場所だったんですね。今後はどんな展開を考えていますか?

熊澤:たとえば、今いるokebaギャラリーはモノづくりをする人たちの拠点にしたくて作ったんですけれど、今度はその食品バージョンを考えている。食を通して、もっとみんなが気楽に来られる場所をつくりたい。レストランみたいに「食事」だけを楽しむ場所ではなく、お酒を買いに来る人や、モノづくりに来る人が、何気なくお茶を飲んで休憩ができるような場所にしたい。ちょっとパンを買ってコーヒーを片手に庭でゆっくり佇む。本を読んだりしながら何気なく過ごせる。今後はそんな場所を地域の皆様に提供したいと考えています。
もうひとつは、駐車場の敷地の奥に、おじいちゃんが相続用に建てたマンションがあるんです。今は空室も増えてきたので、それを熊澤流にリノベーションして、自分の価値観に近い人たちに住んでもらいたいなと思ったり。同じような価値観を共有できる人がコミュニティをつくることで、その人たちが交流できるような場所を作り、マンションの1階は住人たちが運営するショップにするのも面白いと思っている。今は、レストラン、カフェ、okebaギャラリー、ベーカリーや庭があるので、その奥に住居も建てて、いっそ“クマザワランド”みたいなコミュニティをぜひ作ってみたい(笑)。

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答えなんて探さなくていい

石塚:クマザワランド!夢が広がりますね!(笑)
最後に読者へメッセージをお願いします。

熊澤:特にないですよ(笑)。

石塚:そんなこと言わないで(笑)

熊澤:冗談です(笑)。うーん、何だろうな。人は何に対しても答えを欲しがりすぎる傾向にあると思うんですよね。本屋さんでも「これで解決」みたいなノウハウ本がものすごく多い。みんな絶対的な答えをほしがっているように思う。成功している人は、その答えがある程度見つかっていると思いがちですけれど、そんなことはないんじゃないかなと思います。その瞬間だけは答えが見つかっても、毎年毎年状況は変わるので、そんな絶対的な答えはそもそもありえない。だから見つけなくていいんじゃないかな。その時その時のベストを考えてやっていけばいいんじゃないかなと思います。みんな、何が正解かを求めすぎている気がする。

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石塚:言われてみるとそうかもしれませんね。答えがあった方が楽ですものね。

熊澤:こんなことを言っている僕だって、若いころは答えがほしくて、いろいろな経営者の勉強会に行きました。やれ、今年はこのアメリカから導入された最新式のシステムが必要っていうので、みんなで勉強するんです。けれど、毎年そんな感じで違うシステムが導入されて、その都度勉強していくわけです。だから毎年毎年変わっているじゃんって…解決方法を必死になって教えてもらうことはないな、とそこで気づいた。特に日本人はまじめだから、そういうものに縛られやすかったりしますよね。解決方法は人それぞれだし、状況によっても一刻一刻で変わるもの。だから、「絶対」なんていうありえないものにとらわれずに、自分らしく、一生懸命にいればいいと僕は思っています。

石塚:なんだか元気を頂きました!ありがとうございました。

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熊澤 茂吉
(Mokichi Kumazawa)
昭和44年生まれ。平成4年早稲田大学教育学部社会学科卒業後、米国フロリダ・サザンカレッジへ。中退後米国を放浪中、家業の熊澤酒造の廃業の危機を知り帰国、平成5年5月入社。平成9年5月社長就任、6代目蔵元として茂吉襲名。古くから存在していて価値が無くなってしまいそうなモノに、新しい魂を入れ甦らせることを、公私共にライフワークとしている。
http://www.kumazawa.jp
石塚 沙矢香
(Sayaka Ishizuka)
1980年静岡県生まれ。女子美術大学芸術学部絵画科在学中の2003年に初の個展を銀座で開催。2004年女子美術大学卒業後、個展グループ展を多数開催。2007年頃からインスタレーションを主に制作をはじめる。2009年にニュージーランドでアーティストインレジデンスプログラムに参加。国内最大規模の芸術祭、越後妻有トリエンナーレ2009、瀬戸内国際芸術祭2013をはじめ、国内各地で作品を発表。現在、8月まで中国上海のPearl Lam Galleries にて個展を開催中。
http://www.sayaka-i.com

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