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OTONA LOUNGE | Vol.8

熊澤 茂吉(熊澤酒造社長)高須 勇人 (SUNSHINE+CLOUDデザイナー/社長)

   Text : Masami Watanabe
Photo : Kumiko Suzuki

かっこ良くてチャーミングな大人たちの現在、過去、未来…、その生き様や考え方を垣間見ることができ、Mirroirウェブの読者の皆様にもっと楽しい「今」、さらにポジティブな「明日」を提供する対談企画です。

毎月のゲストが翌月にはお友達を招き、ホストになるリレー形式で展開していきます。
今回は、前回のゲスト、熊澤茂吉さんが人気アパレルブランドSUNSHINE+CLOUDのデザイナー兼社長である高須勇人さんをお招きしてお届けします。

高須さんは現在、葉山を拠点に、代官山、奄美大島と3カ所でアパレル&ライフスタイルショップを経営され、ブランドのデザインも手がけられています。温かく、ゆったりとした心地の良い人柄がデザインされる洋服にも空間にも現れています。

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二人の出会い

熊澤氏(以下、敬称略):僕が高須さんを知ったのは、葉山のお店に来たことがきっかけでした。たしかお店ができて少し経った頃だったと思うんですけれど、ある日、散策していたら見つけて。全体の雰囲気が僕好みで素敵だと思ったのを覚えています。
その後、偶然、那須高原で入った洋服屋さんで高須さんのブランドのTシャツを見かけて、“何でここにあるんだろう”と思った。そこからまた一か月後、今度は奈良に夫婦で旅行に行った時に、そこの有名なセレクトショップにも高須さんのブランドの洋服が置いてあって、“この人はすごい方なんだ!”とビックリしたんです。

高須氏(以下、敬称略):そうだったんですね(笑)。それは嬉しいです。

熊澤:今日は高須さんに聞きたいことがたくさんあります。だって、高須さんは本当に謎が多いから(笑)。そもそも、今、お幾つなんですか?

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高須:1964年生まれです。

熊澤:僕は1969年生まれなので、僕より5歳お兄さんになるわけですね。

高須:そうですか。そんなに離れていると思いませんでした(笑)。僕は今年50歳になったんですけれど、自分の中では精神的に若い時のままだから、熊澤さんを見ても同じ歳ぐらいかなと思ってしまうクセがある。もしかしたら先輩かなと思っていたくらい(笑)。

熊澤:僕もそういうところがあります。僕よりも年齢が下の人間に対して、同じか上と思ってしまうことがよくあります(笑)。
高須さんの最初のお店は代官山ですね?スタートしたのはいくつの時たったのですか?

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高須:代官山は28歳の時です。

熊澤:やっぱりスタートが早かったのですね。代官山のお店の後、葉山店を出したのは何年後になるんですか?

高須:2年半ぐらいですかね。来年、葉山店は20周年です。

熊澤:20周年ですか!おめでとうございます。
高須さんの経歴と僕とは少し似ていますね。僕もレストランを立ち上げた時がちょうど27歳でしたし、比較的若い時に現在の仕事をスタートさせています。 高須さんはアパレルデザイン、カフェの運営、会社経営・・・と多岐にわたって様々なことをされていますけれど、メインの仕事というか、これは俺じゃなきゃダメだっていうものはなんだと思っていますか?

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高須:そうですね…デザインでしょうかね。色使いとかも含め、服や店づくりの細かい部分についてもやっています。でもね、いろんなことをやるんですよ。お客さんと接することも好きなので、店頭にもいます。僕の接客、結構しつこいんですよ(笑)。お客様と話しているうちに相手がノってくる。そうすると自分自身もノってくる感じで、そういう折衝が結構面白い。ショップのお客様もそうですが、地方の得意先・取引先にいっての商談の時に、アウェイのゲームをホームゲームに変えるのが案外得意だったりします(笑)。

熊澤:へぇ〜、デザインから接客までとはマルチなんですね。
代官山、葉山の次に奄美大島にも出店されましたが、3店舗目が奄美大島というのが経営者目線ではとても面白いと思ったんですが、どうして奄美大島だったのですか?

高須:奄美大島には5年前にお店を出したんですけれど、経営判断で「奄美大島!」と決めたわけではなく、やりたいと思って始めちゃったんです。僕は案外、自分でやりたいなと思ったらどんどんやっちゃうタイプなんです。そこに採算が合う合わないっていうのは後付けの話であって、採算ベースで考えていないからこそできたんだと思います。経営者としては完全に駄目ですね(笑)。

熊澤:そうだったんですね。代官山の時からそんな感じですか?

高須:代官山の店は、もともと父の会社のひとつの事業部としてできたものです。ところがお店を始めて1年ぐらいで、父の会社が倒産してしまった。ただ、たまたま代官山のお店は一事業部として会社本体とうまく切り離すことができたので、僕が後を継ぐことになったんです。その時が28歳でしたが、会社の後処理やら財務処理やらで、かなり大変な思いをしました。本音を言えばお店をたたんで、フラフラしようかなと思ったりもしたものです(笑)。

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アメリカでの4年半

熊澤:そうでしたか。それは大変でしたね。元々は家業だったんですね。では代官山のお店を継がれる前は何をされていたんですか?

高須:学生時代はアメリカの大学で過ごしました。大学を卒業して少し放浪しようと思ったら、父親が病気になって、強制帰国させられちゃったんです。そこから父の会社に入り、手伝うことになるわけです。

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熊澤:おお、なんだかすごく僕と通じるものがありますね。アメリカに留学した理由はなんだったのですか?

高須:なんとなく楽しそうだったというのもあるけれど、実は高校時代にテニスをやっていましたが、足のケガで1年くらいほとんど運動ができなくなってしまって。そのことがあったので、とにかく飽きるほどテニスがしたいと思い、留学したんです(笑)。
最初はアイダホ州へ行き、そのあとワシントン州へ。そして最後にカリフォルニアのサンタバーバラに落ち着く。アメリカで4年半ほど、すごく充実した日々を過ごしました。

もう東京には住めない…

熊澤:楽しそうなアメリカ生活ですね。いろいろとご苦労されていらっしゃいますが、アメリカへ行ったり、実家の都合で強制帰国させられたり、テニスをやったり、僕と境遇が似ていますね。驚きました!なんだかますます高須さんへの興味が深まりました。
それで、アメリカから帰国してどうなっていくんですか?

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高須:帰国して、父の会社に入って、代官山の店を引き継いだものの、代官山のお店と自分の本当にやりたいこととでは少しだけ温度差があるのを感じて、次に葉山にお店を出したんです。例えば、葉山だとビーチサンダルですぐにお店に来られるんだけれど、代官山の店だと少しフォーマルな靴でないと、同じビーサンでも革にしよう・・・と思う。その辺に違和感がありました。僕は生まれは東京なんですが、アメリカから帰ってきて、もう東京には住めないなと思った(笑)。それで東京へ通える範囲で考え、逗子に住むことにしたんです。地元の知り合いが葉山でギャラリーをやっていましたが、そこをもっと面白くしたいという話をしていたので、それなら僕が店やります!と手を挙げた。即決。それが葉山店のはじまり。

熊澤:なるほど。そうやってあのお店がスタートしたんですね。

高須:でもね、最初はうまくいかないだろうなと思っていました。そこで、もしもカタログだったら理想的に物を見せることができるし、お客様自身も好きな時にカタログで買い物できれば理想的なんじゃないかと考えた。葉山は人が少なかったから、カタログをつくり、みんなに店舗を見てもらえれば良いんじゃないかと思ったのがきっかけで、ビジネスが成長し始めた。今でいうウェブ通販みたいな感覚でね。でも不思議とカタログを出し始めたら店舗にも人が来るようになりました。

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熊澤:葉山にはゲストハウスもありますよね。お店の裏の細い道を、ちょこちょこ歩いた先にある平屋のカフェで、ものすごく素敵な場所なんですよね。誰も来ないので、少し心配になるぐらいのところなんですが(笑)。

突然の奄美大島

高須:うちのカタログを見て、みなさんが想像力をめぐらせて来ていただいていると思うのね。ここは海が見えないし、だからやっぱりお茶ぐらいは出したいなと思い、葉山レストハウスという形で、お店とは別にゆっくりしていただく場所をつくった。
今は、葉山ゲストハウスという風に名前を変えて、週単位の宿泊施設にしています。

僕は葉山でいろいろなスポットの集合体、複合施設をつくりたいなと思い動いていました。コンセプトは決まっていて、場所も決まりかけていたが、結局葉山では実現できなかった。仕方なくあきらめたころに、奄美大島の話が出てきた。普通なら乗らない話だったかもしれないが、もう夢が広がっていて、プランもできていたから、やりたかったことを奄美大島で実現しようと決めた。

熊澤:そうなんですね。それで奄美大島なんだ!
で、実際に奄美大島へはどのくらいの頻度で行かれているんですか?

高須:奄美大島は3ヶ月に1回ぐらいですね。

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熊澤:いいですね。個人的な別荘を作ったわけではないんですよね?(笑)

高須:全くの仕事になりました。残念ながら(笑)。

熊澤:僕は完全に遊び行きたいから作ったんだと実は思っていました(笑)。

高須:実は僕もはじめは自分の店があれば、奄美大島に行く理由ができて、そこで遊ぶこともできるかなと思ってつくったところもありました。でも失敗でしたね…結局仕事になっちゃうから、せっかく来てもあんまりリラックスできない(笑)。
でもね、奄美大島に来ると元気になるし、うちの店がきっかけで奄美を知ってくれる人も増えてきました。奄美大島は沖縄に近いけれどほとんど観光地化されていない。手付かずの自然が多く残っているし、海がきれいだし、人もあたたかいから!

偶然の奇跡

高須:奄美大島でお店を始めてしばらくした頃に、たまたまこの葉山の物件の大家さんの娘さんと知り合いました。いろいろ話をしていたら、実は葉山に使っていない物件があり、そこを僕に見てほしいという話になりました。実際に見に行ってみると「ここをどうしたらいいか、アドバイスをいただけますか?」と聞かれ、僕だったらこういう風にしたいとアイディアを話したら、「高須さん、ぜひここでそれをやってください。どうぞよろしくお願いします」ということになり、今のこの店ができました。それと同時に当初やっていた葉山のお店を閉じて、ここを拠点にしたんです。

熊澤:すごいですね。それもお金の収支を考えて、というよりは、元々やりたいと思っていた構想と物件が一致したってことですね。

高須:そうなんです。そこから丸1年かけて、大家さんのところに通い、打ち合わせを重ねました。どのような契約でお店をつくるかで、行ったり来たりの話し合いが続き、だんだんヒートアップしてくるので、会議室で蒸発するんじゃないかと思ったほどです(笑)。

熊澤:なかなか熱いですね(笑)。内装は以前とは大きく変わったんですか?

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高須:すごく変わりましたよ。建物の枠組みだけ残して、ほかは大きく変えました。それはそれは大工事でしたよ!苦労した甲斐あって、出来栄えは大家さんにもすごく気に入っていただいたし、僕も大変満足しています。

熊澤:そんな物語があったんですね。すっかり高須さんのイメージが変わりました。僕の勝手なイメージの中では、全体的にもっとヒッピーのようなノリで、「楽しくやってきた結果、こうなりました」っていう話を聞けると思ってましたから(笑)。

高須:そういうところもありますが、意外に粛々と淡々と努力するタイプでもありますよ(笑)。

キッカケは足のケガ

熊澤:はい。よくわかりました(笑)。僕と同じで、アメリカから強制帰国された経験が、ひとつのターニングポイントだと思うんですが、そのほかに人生の転機になった出来事はありますか?

高須:振り返ると、高校時代ですね。高校1年の夏休み前、さぁこれから遊ぶぞっていう時に足をケガしたんです。そこから40日以上病院通いが続き、その後はほとんど学校にも行けずに、半ばドロップアウトのような状態だったんです。その体験はかなり堪えましたね。結果的には自分自身を見つめるいい時間になりましたし、前向きに考えるようになるきっかけになりました。実際には足は痛いし、友達はみんな遊びに出かけて日焼けして真っ黒になっているのに、俺だけ松葉杖で病院。そんな状況だけれど、この経験は自分の幅を広げてくれると信じて、根拠はないけれど、何か確信めいたものがありましたね。

熊澤:それはその時に思ったんですか?

高須:それはその時に思いました。

熊澤:すごいですね。まだ若かったのに、つらい時や大ピンチの時でもプラスに考えることができたんですね。さすがだな。

高須:そうですね。それはあるかもしれないし、今の自分にもつながっていることですね。元々持っているものなのかわかりませんが、その時にそう思えたことは大きいですね。僕はマゾですから…自分を追い込むのが結構好きなのかもしれないです(笑)。

ひとりの時間の大切さ

熊澤:それはなんとなく感じていました(笑)。こちらに来させていただいたとき、まだ工事中だったんですが、高須さんは、「これからどうなるかわからないよね」と楽しそうにおっしゃっていましたから。それを見て自分を追い込むのが、結構嫌いじゃないんだなと思いましたよ(笑)。
話は変わるんですが、今行きたい場所はどこかありますか?

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高須:そうですね…仕事のことも考えるとポルトガルかな。なんとなく未開の地というか、不思議な感じがして魅力を感じます。ヨーロッパでも西南の端っこにあって、そこまで注目されない。だけれど日本とは縁が深い国だし、とても興味があります。どこに行きたいかと考えれば、ポルトガルですね。

熊澤:ポルトガル、魅力的ですよね。高須さんは、旅をされるときはグループで行かれるんですか?それとも少人数?

高須:基本はひとりですね。多人数で行かれる方は、逆にエライなって思います。

熊澤:実は僕も旅をするときは基本ひとりなんですが、まわりからすごく不思議がられるんですよ。高須さんは、どうしてひとり旅なんですか?

高須:僕は仕事などの判断・決断をする時は、必ずひとりの時間の中で行います。だから、移動の時間であるとか、海外でのひとりの時間に課題を考えたりします。考える時間がほしいから、僕の旅はひとりが多いのかもしれない。

失敗こそ人生の財産

熊澤:なるほど。経営者は決断することも色々ありますからね。
では、最後に読者にメッセージをお願いします。

高須:そうですね。僕から見ていると、「できるか、できないか」をすぐ決めたがる人が多いように思います。やる前から、これは俺には無理だな…みたいな。それはすごく残念。そうではなくて、それはやってみてからの話だと思う。このことは、特に男性に多いように思います。女性の方が度胸があるし、自由ですよね。

熊澤:そうですよね。僕も子供の同級生とそのお母さん方の接し方を見ているとそう感じます。失敗しないように親がケアしちゃうので、失敗を経験せずに成長してしまう。そうなると失敗しそうなことが、やる前からわかるようになるから、少しでもできないなと思うことはやらなくなるんですよね。

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高須:おっしゃる通りですよね。以前何かの映画でみたユダヤ人の教えが面白かったんです。子供に階段を3段のぼらせて、そこからジャンプさせて、親は下で子供をキャッチして、よくできたねって褒めてあげるんです。次はもっと高い段にのぼらせて、またジャンプさせる。でも次はキャッチしないで、子供に痛い思いをあえて経験させる。

熊澤:それ、すごいですね。ユダヤ人は苦労した歴史もありますから、その教えにも説得力がありますよね。僕は20代で熊澤酒造を継ぎましたが、実は父は私がまだ若いうちに一度失敗させたかったらしい。今振り返ると、若いころの失敗は自分にとって大きな財産になりますからね。

高須:若いころの厳しい経験は得るものが大きく大切。むしろ、しなくちゃいけないと思っています。皆さんもやりたいことを思う通りに頑張ってほしいですね。

高須 勇人
(Hayato Takasu)
昭和39年生まれ。カリフォルニア州ウエストモント大学卒。
有限会社グローンインザサン 代表取締役
代官山にG.O.D. 葉山でSUNSHINE+CLOUD 及び HAYAMA GUESTHOUSE
奄美大島で PARADISE+INN 及びPARADISE STOREを運営。
前世は修行僧(たぶん)
SUNSHINE+CLOUD
http://www.sunshine-cloud.com
熊澤 茂吉
(Mokichi Kumazawa)
熊澤酒造社長
昭和44年生まれ。平成4年早稲田大学教育学部社会学科卒業後、米国フロリダ・サザンカレッジへ。中退後米国を放浪中、家業の熊澤酒造の廃業の危機を知り帰国、平成5年5月入社。平成9年5月社長就任、6代目蔵元として茂吉襲名。古くから存在していて価値が無くなってしまいそうなモノに、新しい魂を入れ甦らせることを、公私共にライフワークとしている。
http://www.kumazawa.jp

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