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OTONA LOUNGE | Vol.10

舘鼻 則孝(アーティスト)黒川 周子(株式会社ベイクウェル)

   Text : Masami Watanabe
Photo : Kumiko Suzuki

かっこ良くてチャーミングな大人たちの現在、過去、未来…、その生き様や考え方を垣間見ることができ、Qorretcolorageウェブの読者の皆様にもっと楽しい「今」、さらにポジティブな「明日」を提供する対談企画です。

毎月のゲストが翌月にはお友達を招き、ホストになるリレー形式で展開していきます。
今回は、前回のゲスト、黒川周子さんが世界を舞台に活躍中のアーティストの舘鼻則孝さんをお招きしてお届けします。

舘鼻則孝さんは、東京生まれの鎌倉育ち。あの世界の歌姫レディー・ガガの専属シューズメーカーであったことはあまりにも有名で、現在ではファッション界だけでなくアートの世界からも注目を集める日本を代表するデザイナーのおひとりです。

モノ作りxマーケティング

黒川さん(以下、敬称略):年齢的にみればまだまだお若い舘鼻さんですが、学生時代から色々な活動をされているのできっと面白い話を伺えるのではないかと、今回はバトンを繋ぎました。元々、大学ではどのような勉強をされていたのですか?

舘鼻氏(以下、敬称略): 僕は東京藝術大学 美術学部工芸科に在籍していましたが、そもそも1年生で入学した時点で1学年に30名しかいなかったんです。工芸科は、その後6つの講座に分かれる中で、僕は染色専攻を選択。単純に考えても、1講座あたり5名くらいになってしまうわけです。僕が最終的に選んだ友禅染は、なんと僕ひとり(笑)だから、クラスメイトと切磋琢磨して・・・というよりは、己との戦いでしたね。ここでの工芸とは、日本の手仕事のことで、用途のある芸術ですから、漆器や着物、日本文化のルーツについて多くを学びました。様々な土地に根付く芸術や文化にも触れる機会にも恵まれました。

黒川:へぇ、面白そうですね。それは、どこか意図してそういうことを勉強したいと思っていたのかしら?

舘鼻:ずっと世界に出たいという思いは持っていました。高校生の頃から、いつかパリコレに出たいと思っていたし、自分の戦う舞台が世界だと考えたときに、いちばんの武器になるのはやっぱり日本の文化や芸術を知っておくことだと思ったわけです。

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黒川:私は中学生の頃から海外暮らしで、各国から集まった様々な人種の中に身を置くことで「自分とは何か」「日本人の自分の強みは何だろう」と、自ずと考える機会が多かったけれど、ずっと日本にいながらそういうことを考えたのはなぜ?

舘鼻:肌の色というのではなく、国として、人として、世界の舞台で日本人として自分が認められたいという思いがありました。自分の存在を示したい、それに気づいてもらいたいというのかな。自分がファッションデザイナーを目指すにあたっては、日本はメジャーリーグではないでしょう?洋服はヨーロッパから入ってきたもので、例えばフランスに行ってフランス式のファッションを学んでも僕は決してフランス人にはなれない。

黒川:確かにね。舘鼻さんは美しいものを作って人を幸せにするアーティストだけれど、それと同じくらいビジネスマンのマインドを持っていますよね。

舘鼻:アーティストやデザイナーはきれいなものを作って人に幸せを与える仕事だと僕も思っているけれど、実際にそれはものすごく難しいこと。作品を知ってもらうこと、それを広げていくことって安易ではないし、そもそも作品が本当に美しいのかどうか、それだって本当のところはわからないじゃないですか。だから僕の場合は、自分と自分の作品を知ってもらう手段としてマーケティングを取り入れて、ある意味ビジネスを利用して自分の伝えたいことを伝えるきっかけを得たというのかな。ビジネスライクに考えたからこそ、ある意味成功したのかもしれないと思っています。

レディー・ガガとの出会い

黒川:舘鼻さんといえば、レディー・ガガ。彼女の靴を作ることになったきっかけは?

舘鼻:実は、最初にガガが履いた靴は僕の卒業制作の作品だったんです。日本文化を学んだバックグラウンドを武器に世界に出ようと虎視眈々と考えていたものの、実際にはその術も人脈も何もないことに気がついたわけです。そこで、何もないところから作品をどのように見せて、どう広げていけばいいのかを考えた時に、まずは海外から攻めないと成功しないとは感じていたので、世界の出版社、ファッションデザイナー、スタイリスト、エージェント・・・と、思いつく限りの先にメールで資料を送りました。それはもう、かなりの数を出しましたよ(笑)そんな中で、3通だけ返信がありました。その中に、レディー・ガガの専属スタイリストがいたんです。

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黒川:わ、すごい!意外と熱いですね〜(笑)返信がきた時は、どう思ったの?

舘鼻:びっくりしました(笑)でも、当時、ガガは世界中の行く先々でその土地のデザイナーやアーティストの作品を身につけて自己表現をしていて、ガガがまもなく来日すること、そして同様に日本でデザイナー/アーティストを探していることも聞いていたので、可能性はあるんじゃないかと密かに感じていました。だから、ある意味においては狙い通りとも言える(笑)

黒川:そういえば、当時は世界中でレディー・ガガって誰?となった時に、同じように「あの靴は何!」となりましたよね。メディアに一緒に取り上げられるというか、レディー・ガガの知名度が急上昇していったタイミングで、共に成功の階段を上がっていった印象ですね。

舘鼻:そうですね。今だったら、ガガの地位は確固たるものになっているから、絶妙なタイミングに出会えて、一緒に昇って行けたのがよかったと思いますね。僕、実は二浪しているんですが、そのお陰なのか何なのか卒業のタイミングとレディー・ガガとのタイミングがぴったり合った!(笑)

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黒川:まさに、ひとつの転機ですね。二浪にも意味があったというわけですね(笑)舘鼻さん自身では、きっと常に綿密な準備や計算を積み重ねて世界に出ていった自負があるかと思いますが、レディー・ガガに会う前の対外的な評価はどうだったのでしょう?

舘鼻:全然注目されていなかったですよ(笑)もちろん、常に自分の作り出すものには自信を持っていたし、世に出るための準備も結構しているほうだったと思います。でも、ギャラリーで展示してもメディアも来ないし、SNSも今程盛んではなかった時代からかなり頑張って使っていたほうだと思うけれど、ほとんど反応はなかった。

黒川:そういえば、私たちが初めて会った食事会を主催した友人と舘鼻さんとの出会いのきっかけはTWITTERでしたよね。その方がテレビで舘鼻さんを見て、TWITTERで声をかけて・・・。

舘鼻:あはは。そういえば、そうでしたね。あの頃はとにかく貪欲にチャンスをつかみたいと考えていた時期で、毎日いろんな人に会いました。怖いもの知らずでした(笑)

黒川:どんなに仕事が素晴らしくて作品が素敵でも、世の中に出ていくためには自分から動いて仕掛けていかないとなりませんよね。でも、そういうとき、舘鼻さんって不思議とガツガツした印象にならない。だからきっと人の懐にスッと入っていくのでしょうね。

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舘鼻:なんだか僕、悪い人みたいじゃないですか(笑)

黒川:よい意味で、ですよ!もちろん(笑)

舘鼻:でもね、実際に僕はとても貪欲だし、行動力はあるほうだと思っています。ただ、人に相談したり、努力とかを見せるのが嫌なんですけれど。

黒川:でも、実はものすごく努力をされているじゃないですか!きっと相談しないのは、自分の頭の中で答えが決まっているからでしょう?きっとガガさんも舘鼻さんに出会って、何かを感じたのでしょうね。

舘鼻:将来性は感じてもらえたのかもしれない。だって、2年間で25足も作ったんですよ!それほど短期間に沢山の靴を作った相手は彼女だけです。全行程を手作業で、しかも僕自身が作るから、当時はものすごく目まぐるしい毎日で、睡眠時間もほとんどなかった。ちょうど、黒川さんに初めてお会いしたのもその頃でしたね。

黒川:最初にお会いしたとき、まさかご自分で手作業で作っているとは思っていなかったので驚いたのを覚えています。もっと奇抜な方なのかと勝手なイメージを持っていましたが、全然そうではなくて、むしろ落ち着いていて、日本文化について造詣が深くて、いい意味でイメージを覆されました。

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舘鼻:初めてお会いした時の食事会はIT関係の人が多かったので、モノ作りをしているのは僕たち2人だけで、色々と話しているうちに意気投合。お菓子作りも、ファッションも何かを作るという点で、思いは近いですからね。

黒川:舘鼻さんの作品が奇抜なだけだったら、これだけの人々の心の中に残っていかないと思うんです。どこか普遍的なものを感じるから、ファッションの一部ということだけではなく、ロンドンの美術館にも作品が収蔵されていたり、評価がちゃんとされるのかなって思います。

舘鼻:僕の作品は現在複数の美術館に収められています。ファッションの分野にはなるのですが、兜や着物の延長として、今、この時代に僕の靴が選ばれたことがとても嬉しい。きっと美術館にとってもチャレンジだったのではないかと思うんですよね。だって、戦後になってまだ5ブランドくらいしか日本のファッションブランドで美術館収蔵されているものはない。日本で売れるファッションはヨーロッパ的だし、現代の日本らしいモノ作りをしているデザイナーがどれだけいるのか。そう考えると、「今」を表現して形にするのが僕たちアーティストの仕事だと思うのです。将来性を感じさせないと新しく見えないし、進化したモノ作りをしていかないと文化が先に進まない。ただ古き良きものを守るだけではなく、積み重ねていく意識がないと駄目だと思うんです。

黒川:どんなに良いものを作ることができても、新しいエッセンスや息が吹き込まれていないと、それは100年前と同じものになってしまいますからね。舘鼻さんはアートとビジネスを早々に合理的にくっつけて考えることができたから伸びたのでしょうね。資本主義の社会で生きている私たちの中では、お金を払ってでも欲しいと思う物でなければやっぱり残っていかない。

舘鼻:そう、それが現代というものだと僕も思う。例えば、戦があるから刀を作っていた時代があったけれど、今は刀は鑑賞するもの。何をもって、現代と呼ぶのかはわからないけれど、やっぱり僕らは現代を考えて表現すべきなんだと思います。でも、いちばん危惧すべきは、日本のアートマーケットが極端に小さいことではないかと。それによって、才能がどんどん海外に出ていってしまっています。だからこそ、自分は海外でも仕事はするけれど、決してベースは移したくない。日本をベースに活動はし続けたいんです。僕がひとつの成功モデルになれば、それがケーススタディとなって状況が変わっていくかもしれないから。

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黒川:なるほど、素敵ですね。でも、実際に活動の多くは海外でしょう?東京をベースとして、何か不便さは感じたりしないのかしら?

舘鼻:感じることはもちろんあります。作品の発表の場はやはり海外であることが多いので、飛行機、宿泊・・・作品の輸送とか物理的に大変なことはあります。でも、僕が東京ベースだから、海外のお客さんが会いに来てくれることも沢山ある。海外から日本に人を呼び込めていることは素直に嬉しいです。そうやって来日した人々が日本でお金を落としていってくれていますから。2020年のオリンピックイヤーに向けて日本をもっともっと魅力的な国にしていかないと勿体ない。日本文化は豊かですけれど、思いつくのはどれも昔のものばかりでしょう。今の日本にどんな文化があるかと聞かれて、ちゃんと答えられる人がどれだけいるのかな。もてはやされているサブカルチャーは、戦後に西洋から入って来た文化が一度日本なりの形で昇華して、再輸出できる強度になったものだと思うんです。そういう意味では、僕もサブカルチャーの一部(笑)もっと日本人が日本のことを応援できる土壌を作り上げていかないと、50年後とかが心配で仕方ない。

黒川:20代なのに、素晴らしいですね(笑)頷くばかりです。

舘鼻:以前に、ダフネ・ギネスさんがAP通信の取材を一緒に受けてくれたことがあって、そのときに彼女が「自分と共通言語を持っている人をみつけた!」と言ってくれたんです。英語とか日本語とかではなく、アートという言語は世界共通で繋がることができる。とても嬉しかったですね。

黒川:いいものは、世界の誰が見てもいい。そういう感覚は共通っていうことですね。アート作品はコミュニケーションツールといつも仰っているのは、そういうことですね。きっかけは靴だったけれど、今の活動は多岐にわたられていて、ファッションデザイナーに止まらず、ご自身では「日本」を世界に伝えるアーティストにシフトされているのかしら?

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舘鼻:僕はキャッチーだし、日本のことを知るきっかけ、入り口でいいと思っています。僕をきっかけに、どんどん日本やアートに興味を持ってもらえたら嬉しい。だからこそ、自分はできるだけ最前線で活動はしていたいと思っています。自分のように伝える手段を持っている人がまずは前に出て話せばいいと思う。誰もが話すことが得意なわけではないし、キャッチーなものを作っている人ばかりではないから、僕みたいな存在を通じて、そうでないところまで人々の興味と視線が届くようになっていけばいいなと考えています。

黒川:本当にしっかりしていらっしゃる!そういう考え方は、子供のころから?

舘鼻:母がスウェーデンのシュタイナー教育のウォルドルフ人形の講師をしていたので、いつも身の回りにクリエーションの環境がありました。母からは、ほしいものはいつでも自分で作って見なさいと言われて育ったので、物をつくるということは幼少のころからごく普通のことだったかもしれません。10代のころから、パリやNYに行きたいと考えていたし、どういう道に進みたいとか、自分はこれがしたいだとか、結構はっきりと目的を持って過ごしていたほうだと思います。

黒川:本当に舘鼻さんは、自分自身を冷静によく理解していると感心させられます。進みたい方向性だけでなく、自分のどこが人より優れているとか長けているとか、ちゃんとわかっていらっしゃるところがすごい。これから30代、40代・・・と、次のステージでは何をしたいのでしょう?すごく楽しみ(笑)

舘鼻:アートを作ることをやってみて、実はアートを収集するコレクターが楽しいということに気がついてしまった(笑)でも、本当にコレクターになるためにはお金が必要。だから、今はアーティストを続けます。自分の作品はどうしても仕事として捉えてしまうけれど、やっぱりアートによって救われることは多々ある。まずは自分がアーティストとして世界の第一線で活動を続けて、若い人たちのきっかけになりたいと思っています。

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黒川:世界の注目を集めるようになった今でも、国内、海外と評価に差を感じたりすることはありますか?

舘鼻:作品=コミュニケーションだから、新作発表のときはいつでも(今でも)緊張します。それって、世間に向けて意見を述べることですからね。そういう意味では、そのメッセージをいちばんストレートに受けとめてくれるのがアメリカ。アメリカはとっても資本主義っぽいの。ヨーロッパはどちらかというとクリエーションを見る。で、日本はただそれを見ている感じ(笑)僕は初めて海外で作品を発表したのがアメリカだったから、そのときの希望に満ち溢れた感覚が今でも忘れられない。とってもウェルカムだったから。初めて作品を履いたのはレディー・ガガで、作品を購入してくれたのはFIT(ニューヨーク州立ファッション工科大学)の美術館だった。そこからスタートして今があります。そこには日本で感じていた年齢の壁も関係なく、とても心地よかったことを覚えています。

黒川:アーティストの多くは“僕だけを見て!”的な要素が強いのかなと思っていましたが、舘鼻さんは全然違いました。もちろん、ご自身のお名前を冠にして仕事をされていらっしゃるから、強い個性と才能は感じますが、やっぱり良い意味での合理性が程よいバランスを生んでいるのでしょうね。

舘鼻:僕は周子さんとお話して、クリエーターっぽいなと思いましたよ。アートやファッションに詳しいということではなくて、何かを0から1に作り上げることが得意なタイプなのかなって。しかも、ビジネスセンスも高い!

黒川:恐れ入ります(笑)。分野が違いますが、コツコツと何かを作り続けていることと、その中でもある部分は合理的に考えているところは共通かもしれませんね。まぁ、そうは言っても、お客様にはできる限り満足していただきたいし、そのために最大の努力をしているので、合理性より断然、情熱の部分が強いかもしれませんけれど(笑)。

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舘鼻:もちろん、僕もお客様の喜ぶ顔が自分の中での最大の原動力にはなっています。だからこそ、大量生産に走ることなく、完全なオーダーメイドにこだわり続けてきましたからね。しかも、そのやり方だったからモチベーションを保ち続け、継続できたのだと思います。

黒川:私の場合は、仕事の言動力がお客様のため…であっても、主役はあくまでもお菓子。そして、それを作る職人たちであり、決して私自身ではない。私がいるからお店にお客様が来るのではなくて、そこにお菓子が、それを作る職人たちがいるから、それを求めてお客様がいらっしゃる…というサイクルでなければいけないと思っているので、自身のお名前をブランド名としている舘鼻さんとはちょっと違うかもしれない。だから、私がいなくなってもルコントは続いていくと思っています。舘鼻さんの場合は、今は自分ですべての作品を作り、コントロールできて、その作品が「舘鼻則孝」として何十年も何百年も残っていくわけじゃないですか。いつか死ぬ時がきたら、自分のブランドはどうあるべきだと考えているの?舘鼻くんでなければできないことをしているわけだから、今のままでは続けられないのではないかと思うのだけれど、その点はどうなのでしょう?

舘鼻:だから僕はそのうちアートのコレクターになりたい(笑)。

黒川:ある意味、このブランドを続けなければならないとか、続けたいというこだわりはないということ?

舘鼻:ブランドをスタートさせた当初は老舗になりたいと真剣に考えて事もあります。だって、日本にはそういうファッションブランドはまだ存在しませんから。欲を言えば、老舗ブランドを作ること、そしてコレクターの両方をやりたい(笑)。

黒川:でも極端なことを言えば、今、骨折したり、入院しても継続は難しいわけですよね?

舘鼻:いや、骨折くらいならなんとかなります(笑)。というのは冗談で、僕はポジティブなのでどこかで本気でどうにかなるとも思っているんです。でも、仮に僕が死んだら作品が作れなくなるのであれば、それはそれでニュースになり、歴史に名前が残るかもしれない(笑)。そういうことを真剣に考えていくと、アーティストのあとに、コレクター、最後はファッションとアートの基金を創ることが僕の役目かなと思っています。

黒川:それはいい!次の世代にバトンを渡す!(笑)

舘鼻:権利のあるものは家族に残して、それ以外は若手アーティストのために…とか、美術館をつくって…とか、舘鼻基金みたいなね。一応まだ20代ですけれど、おじいちゃんみたいなことを考えたりしていますよ(笑)。

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黒川:素晴らしい。本当にポジティブですね(笑)今までに、ピンチとかを感じたことはあるのかしら?

舘鼻:うーん、ないですね。人間なので、落ち込んだりすることはありますが、基本的には前向きだし、自己解決型です。どうしたって前に進んでいかなくてはならないわけですからね。

黒川:では、アーティストとして必要だと思うこと、日々努力していることはあるのかしら?気にかけていることとか?

舘鼻:普段、何気なくしていること、そこにあるものなど、放っておいたら過ぎ去ってしまいそうなことに気をつけているかな。たとえば、お箸はどうして二本なのか、とか。そういうことって、実はみんな当たり前すぎて考えてみたことがないでしょう。僕は今、美術大学で教鞭もとっているのですが、生徒たちに「3人いないと着られない服があってもいいんだよ」と言ったりする(笑)。よく固定観念とか、既成概念とかと言うけれど、知識や情報がありすぎることは、ある意味可能性を狭めることもあると思うんです。だから勉強すればいいという問題でもない。たとえば、「今日はどうしてその服を着たのか?」と尋ねられたときに、多くの人は「なんとなく」と答える。でも、その「なんとなく」の中に本当は様々な意識があるわけじゃないですか。天気とか、今日は誰に会うから、とか。そういう理由を考えてみるだけでも、何かが違ってくると思っているので、できるだけ日々のそういった些細なことに意識を持っていくようにしています。

黒川:確かになぜ箸は二本か、なんてじっくり考えないですね。いろんなことを実は何気なく流してしまっている。そういうところに気づきがあったりするかもしれないのにね。

舘鼻:同じ延長線上の話で、多くの人は「私は人の話を聞くのが得意です」と言ったりする。でも、「では、あなたについて教えてください」というと語れない人が多い。みんな、意外と自分自身のことを知らないし、思い込み(決めつけ)だったりすることも多い。自分では気がついていない才能があるかもしれないし、やれることの幅も実は自分が思っている以上に広いかもしれないのに、勿体ないと思うんです。やりたいことは年齢を関係なく、やったらいいし、やりたいことをきちんと言えることは素晴らしいと僕は思います。やりたいことを見つけるためにも、まずは自分自身をちゃんと知ることは大切なことなのではないでしょうか。

黒川:本当にそうですね。心を常にオープンにして、刺激を受けたり、好奇心を失わずに可能性は広げていきたいと私も思っています。今日はありがとうございました。

舘鼻 則孝
(Noritaka Tatehana)
1985年、東京生まれ。歌舞伎町で銭湯「歌舞伎湯」を営む家系に生まれ鎌倉で育つ。シュタイナー教育に基づく人形作家である母親の影響で幼い頃から手でものをつくることを覚え、15歳の時より洋服や靴の制作を独学で始める。東京藝術大学では絵画や彫刻を学び後年は染織を専攻し、花魁に関する研究とともに日本の古典的な染色技法である友禅染を用いた着物や下駄の制作をする。2010年自身のファッションブランド「NORITAKA TATEHANA」を設立。全ての工程が手仕事により完成される靴はファッションの世界にとどまらずアートの世界でも注目されている。レディー・ガガやダフネ・ギネスに作品が愛用されているということでも知られている。
http://noritakatatehana.com
黒川 周子
(Chikako Kurokawa)
1980年生まれ。聖心女子学院初等科から聖心女子学院中等科に進み、3年生の夏休みに渡英。 St.Elphin`s School 入学、その後 高校はCCSSに進学、University of London, King`s CollegeからUniversity of London, Goldsmiths College への編入を経て、卒業後は渡米。45 rpm USA入社。帰国後は、(株)木楽舎に入社し、築地本願寺内境内にて、カフェ・レストラン『カフェ・ド・シンラン』をオープン。2009年にくろかわちかこ事務所を設立し、飲食店コンサルティング業務に携わりながら、2012年 株式会社ベイクウェルを設立。ルコントを開店。

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