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Wonderful Nippon | Vol.1

〜奥ゆかしく、エレガントな和の心〜
小松成美さん x マッキー牧元さん

   Text : Masami Watanabe
Photo : Miwa Yamaoka

日本には四季があり、北から南に47都道府県もの地域があります。遥か昔には、黄金の国ジパングと呼ばれ、西洋から憧れを抱かれていた誇り高い国です。2020年には東京でのオリンピック・パラリンピックの開催が決定し、今、ふたたび世界に注目され、多くの外国人が訪れるニッポン。私たちは知っているようで、この素敵な土地や文化について、まだまだ知らないことがたくさんあります。

これから連載でお届けする「Wonderful Nippon〜日本をもっと知りたい!〜」では毎回、日本のいろいろな土地や技術、ヒト、コト、モノに迫ってまいります。 初回は数々のアスリート、アーティスト、文化人、そして職人をインタビューしてきた作家の小松成美さんと、音楽と食文化に精通しているタベアルキストのマッキー牧元さんによる対談で幕開け!

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小松成美さん(以下、敬称略):マッキーさんは、食を探訪なさる時に、「和食」も多く召し上がられていると思いますが、西洋のお食事と比較しても和食はとっても奥が深いですよね。

マッキー牧元さん(以下、敬称略):和食は深すぎて、未だに勉強中です。

小松:あら、マッキーさんのような方でも!

マッキー:まだまだわからないことだらけです。先日も日本で最初に板前割烹というスタイルを始めた京都の割烹「浜作」に伺いましてね。それまで、割烹というのはお座敷で食事を頂くところで、板前さんは前には決して出ることはなく、料亭のように仲居さんがお部屋に料理を運ぶことが常でした。フランス料理、イタリア料理でも、大体がそのように調理場と食堂は別々になっているスタイルが多く、料理は部屋で頂き、シェフは出て来ない。そんな中で、浜作が初めてお客様の前で刺身を切ったりするスタイルで食事を出した。板前の腕がよかったということもあり、このスタイルが瞬く間に話題になったと言われています。

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小松:創業はいつ頃なのですか?

マッキー:明治の末の創業です。現在では祇園のほかに、銀座にもお店があって、料理も素晴らしい。でもね、それ以外に「浜作」には、他の板前割烹とはあきらかに違うことがあります。

小松:え、何でしょう?

マッキー:それは板場に金属とプラスチック製品が一切ないこと。包丁とおろし金以外は、すべて有機物。サランラップとか、そういうものも使っていらっしゃらない。これだけでも驚きですが、さらに包丁が素晴らしいのです。現在のご主人は三代目にあたりますが、彼が修行から戻った時に、修業先でもらった新品の上等な包丁を使おうと調理場で出したところ、ものすごく怒られたそうです。つまりね、目の前にお客様がいるのに、ギラギラした光る包丁を見せたら恐怖感をおぼえる方だっているかもしれない。そういうものを使うんじゃないって。

小松:ものすごい配慮の意識ですね。すきやばし次郎の二郎さんも仰っていますが、和食には造詣の美がありますね。色、形をどう見せるか。器をどう見せるか。そして今、マッキーさんが仰ったことは、職人(板前)の心遣い。おもてなしの心ということですよね。

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マッキー:お客に対する思いやりを大切にするのが、和食であり、日本人の心。だから板前割烹浜作には、使い古した燻し銀の、細くなった包丁しかありません。下ろしたての包丁はお客さんの前には出さない。10年以上使用したものだけをここでは使えという教えです。素晴らしいなと思いましたね。とても勉強になりました。板前割烹は今、いろいろなところにありますが、そんなことをやっているお店はどこにもないですね。

小松:私は“和楽”という雑誌で、「和を継ぐ者たち」という連載をさせていただいたことをきっかけに、今でも全国の職人さんを訪ねています。ライフワークのようになっているこの活動の中で、今のマッキーさんのお話に通ずるなと思ったのは、完成したものの美しさ、本当に芸術の領域にあるようなものをつくっている工場は、その素材に埋もれて混沌としている、ということ。整理整頓がされてないという意味ではありません。掃除もされ、とてもきちんとしています。ただ、造形の過程で手順の複雑さが騒然さと猥雑さを生むわけです。例えばね、愛知県岡崎市にある「松井本和蝋燭工房」に伺ったときには、とても現代の作業場とは思えなかった。合成蝋やぬかワックスなど一切使用しない天然の材料のみを使用した和蝋燭の工房には、炭と蝋燭の原料のハゼの実で作った木蝋の匂いが立ちこめています。どこか日本人には懐かしい香りです。もちろん、浜作と同じように、ステンレスの台なんてひとつもなくて、火を焚く竈と木蝋を溶かした大きな鍋があり、木蝋を竹のクシに手で練りながら付けていくのです。整えた蝋をこれも手で揃え、包丁で切りそろえていきます。和の伝統を守り、オリジナルな物作りをするときには、進化とかテクノロジーを否定しなければならない。  テクノロジーがあるから、ものづくりはどんどん進化している。技術革新を享受することを文明社会の恩恵だと私たちは思いますが、古来の伝統を継承するには、それは邪魔で、むしろ排除すべきことなんだと職人さんたちを取材する過程でわかりました。機械化を一切取り入れないという選択は、現代を生きる職人さんたちの挑戦でもあります。そして、そこには、歴史ある物と物作りへの尊敬が込められていると感じました。

マッキー:テクノロジーと相反しても、彼らは、その環境の中でさらにいいもの、もっといいものを作ろうと考えているでしょう?その心構えと意識には脱帽しますね。

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小松:そうなんです。テクノロジーは必要ないのだけれども、例えば、その色合いや手触り、デザイン・・・そういう創造性は絶対に諦めないし、探求し続ける。だから代々、必ず新しいものが生まれていますよね。もうひとつ、私が衝撃を受けたのは、十六代目大西清右衛門さんの仕事です。京都に釜座という住所がありましてね。要するに、金座、銀座、銅座というように、釜座というところもあったわけです。釜師(茶釜などの鋳物職人)が住む「釜座」(かまんざ)が集まっていたことからこの名がつきました。現在その三条釜座に1軒だけある釜師の工房が、大谷清右衛門さんの工房です。大西家は、室町時代後期から400年以上続く京釜師の家。大西清右衛門さんの祖先は、千家十職の釜師でした。
茶の湯釜の地文は釜師の手により、箆という道具を使って鋳型に押し描かれるのだそうです。その下絵や図案は、釜師がデサインすることもあるし、あるいは茶の湯釜のオーナーが描くことも、また、当時の著名な画人が描くこともあったそうで、その柄や絵図の多くは今も制作資料として、大西家に伝えられています。しかし、茶の湯釜そのものの、緻密な設計図などは一切ないそうで、常に、一世一代のものを作っていました。コピーや大量生産はあり得ないと言うことです。当代の大西清右衛門さん十六代目ですが、伝統を受け継ぐために、初代、二代、三代が作ったものとひたすら対話をするのです。原料やデザインを見て、触って、製作者の意図を想像し、そこにある魂を感じている、と仰っていましたね。

マッキー:昔の人たちはすごいですね。でも、さすがに今の時代ですから、マックやパソコンもあるので、今は設計図を残しているのですか?

小松:それが現在も残さないんですって!一世一代、その釜師にしか作ることができないものだからこそ、いいのだそうです。
茶の湯釜は鉄製ですから、17世紀に作った初代のか釜もそのままに残っています。けれど、鉄はゆっくりと酸化し腐食していくので永遠ではない。錆びてやがて朽ちていく様子すら感じて、釜師がどんな「わび」「さび」を思い描いたか、想像することができるとも、当代の大西さんは話していました。新品の茶の湯釜を作り、それが人に使われて、古くなり年季が入って、やがて朽ちていく。千年とか二千年の時間の流れを、釜師は思っているわけですね。人間の生きている時間では完結しないストーリーがそこにはあります。大西さんはそうした過去の茶の湯釜の再現を試みていらっしゃるそうです。過去に学び、そこから自分にしかできない、21世紀の釜を作りたいと仰っていました。
人間の生きている時間を、物やそこにある精神は軽々と越えていきます。日本には、そうした物が溢れていますよね。

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マッキー:朽ちていくことを美しいと思えるのは、日本人特有の美意識。元々、自然と共生してきたから、そういう思想が生まれたと言われていますよね。

小松:ある一瞬は「負」と思えるものが実は「美」と称されることが日本には多々ありますね。たとえば、先程マッキーさんが仰ったキラキラ光る包丁を一般的に西洋では良いとされがちですが、お客様を思う心から、それが目に入ったら不快感を与えてしまうであろうというところまでを汲んで、あえて使い古した包丁を使う。それこそ、和の美学、和のおもてなしの奥深いところですね。

マッキー:自分も含めて、日本各地を歩いた時に、モノや食といった造形物に触れることが多いわけですが、最後に魅せられるのはいつも職人や板前のまごころ。その感性は日本人ならではであって、日本人にしかできないことなんじゃないかな。

小松:これは日本の地形に大いに関係していて、海に囲まれ、すべてが島の中に集約された島国ニッポンだから発生した習性なのでしょうか。ネガティブな意味ではなく、地形や自然環境が文化を生み育てる、という意味で。

マッキー:確かに、日本だけがある意味特殊な自然環境に置かれた国ですからね。日本人がなぜ肉食をメインに選ばなかったかということに、自然環境が強く影響しています。食だけでなく、宗教観だって、自然によって大きく違ってきますね。肉食を選んだ西洋人は、個人主義に走りました。極端に言えば、自然は神が人間のために創ったものだから、いかようにも変えてよいという考え方。ところが、日本人は八百万の神を信じ、様々な神がいると感じて、世界の様々な宗教も受け入れてきました。

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小松:モノにも神が宿るという感覚も日本特有のものでしょうか。「八百万の神々」というのは、つまりそういうことですよね。森羅万象に命と神が宿っている…。自然への尊敬と畏怖が、大古からありました。

マッキー:食事においてもそうですよ。中国や台湾に行くと、箸は縦に置く。それは取りやすいから。でもね、日本は横に置きますでしょう。それは、箸から向こうは神の領域であるという考え方からきていて、“結界”なんですね。そして、手と手を合わせて「いただきます」と言って食べます。これも、自然を敬う日本人特有の自然観であり、宗教観。でも、最近ではそれも廃れてきてしまって、箸を縦に置いている店も少なくないんですけれどね(笑)。

小松:食卓にさえ、神への意識がある。日本特有ですね。
イチロー選手がメジャーリーグに移籍した2001年のことですが、メジャーリーガーたちとの道具に対しての意識の違いに驚いたとインタビューで伺ったことがありました。イチローさんは野球道具に愛情が深く、彼はグローブもバットもシューズも、すべて手入れは自分で行なっていました。そして、練習中でも試合中でもグローブはもちろん、バットも絶対に地面には置きませんでした。

マッキー:打って走り出しても、バットをそっと静かに置くんですよね。決して、投げたりしない。

小松:ええ、今もそうですよね。
メジャーリーグには、専門の用具係りがいて、彼らが手入れをしてくれるので、地面だろうと、雨が降っていようとお構いなしにほおっておく。用具係が翌日には綺麗にしてそれぞれのロッカーに戻しておいてくれるので、泥が付いても水で濡れても気に掛けない。それが習慣だから仕方がないわけですが、イチローさんがその環境の中でも道具を自分で磨き、バットを置くときはスプレー缶やベンチなどに立て掛け、絶対に地面に置かないわけです。そうした姿を見ていた他の選手たちは、最初は意味がわからず、「日本から来たこのプレイヤーは一体何をやっているのだろう」と首を傾げていたそうです。そして、そのことを尋ねられたイチローさんはこう答えました「モノには魂が宿っているから」と。

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マッキー:海外の選手の中には、バットを投げたり、時には蹴飛ばしている人もいますよね。だから、イチローさんの言葉にはびっくりしたことでしょう。

小松:そう、周りの選手たちには“モノに神が宿る”という概念がないので、イチローさんの言葉を聞いて、はじめは驚き、笑うんですね。でも、やがて彼が渾身でバッターボックスに立って、毎年200本ものヒットを打つ姿を目の当たりにする中で、自分の使う道具に対して愛情と尊敬があるからこそ、あぁいうバッティングができるのだと、理解していくわけです。アメリカや中南米の選手たちまでもが、イチローさんの精神性に賛同するんですよ。イチローさんの思いが化学反応を起こしました。他の選手たちも、さすがに全ては真似はできないのですが、グローブをベンチやロッカーの上に置いたり、イチローさんのバットを蹴ったり、倒したりしてはいけないと思うまでになったり、ワイルドなメジャーリーガーたちが、イチローさんの物への尊敬や思いを受け入れていった。そして、イチローという日本人が集中力を持ってひとつの事に向き合い、前人未到の領域を超えていく姿は、そうした物への思いと無関係ではないと、理解をしたのだそうです。もちろん、イチローさんのアスリートとしての才能と記録が素晴らしいのですが、数字が勝ち負けを決めるメジャーの世界で、イチローの魂が伝わったことは、本当に素敵だと思うんですよね。

マッキー:世界で活躍するアスリートの中でも、イチローさんは特に職人気質だと伺いますが、今のお話を聞くと、本当に素晴らしい。日本人として嬉しいですね。

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小松:職人は伝統を守るために変えないことがあると言います。変えてはならないし、変えてしまったらそのものができなくなってしまう。そういうルールの中で、けれども新しいものを作りたいと考える。イチローさんは、偉大なバッターたちをリスペクトしながらも、きちんと自分の野球哲学がある。私はそれを“イチロー ルールズ”と呼んでいました。例えば、既存のストライクゾーンにこだわらないとか、既存の練習方法に固執しないというように、どんどん新しい感覚、行動を取り入れていきます。一方、勝利への執念も絶対に失うことなく、戦う野球選手のメンタリティーや誇りも守り続けています。その両方が結実すると、あのような素晴らしい記録が生まれるのではないでしょうか。イチローさんのプレーする姿は42歳になった今も本当に美しいんです。あの美しいプレースタイル。フォームが変わらないことが、闘志の証しだとも私には思えます。
きっと料理にも同じことが言えるのではないでしょうか?

マッキー:料理界だと、一番わかりやすいのは89歳のすきやばし次郎の二郎さんでしょうね。僕はかれこれ30回以上は食べていますが、今年の始め頃に訪れた際にね、「正月は何をしていらしたんですか?」と伺ってみたら、「31日から4日間も休んじゃったから、調子が悪くなっちゃったよ」なんて冗談を返されました(笑)。つまりね、あの方は休まないので、休むと身体の調子が悪くなっちゃうんですよ。日曜日は休まれていますが、月曜から土曜はずっと働いています。お医者さんには、せめて夜だけにして、ランチタイムはやめなさいと言われているようですが、それでもお昼もお店にいるんです。でね、お正月に4連休を取ったら、4日目にはお鮨の夢を見たそうです。烏賊はもっとこうして切ったら美味しくなるんじゃないか、と夢の中で思ったらしい(笑)。彼は89歳。14〜15歳の時から鮨を握り始めておられるのに、まだそんな夢を見るんですよ。すごいでしょう。

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小松:「二郎は鮨の夢をみる」というドキュメンタリー映画にもなりましたね。

マッキー:今でも、まだもっといい方法はないか、もっと美味しくならないかと、どこかで考え続けていらっしゃる。一昨年前には酢を変えてみようと思っているなんて仰っていました。どこまでいっても職人で、絶対に守りに入らない。

小松:二郎さんのお鮨と他のお鮨の違いはどこなんでしょう?

マッキー:よく聞かれるんですが、これはいろいろなお寿司屋さんに行かないとわからないですね。似たようなところを食べ比べてみないと、本当に微妙な差だと思うんです。でもね、ひと言で表現するとすれば、二郎さんのお鮨はエレガント。89歳が握るエレガントな寿司って素晴らしいでしょう。本当に素敵だと思うんです。

小松:わー、素敵ですね。一生に一度でいいから食べてみたいです(笑)。
私は、アスリートや職人と同時に、邦楽に関わる方にたくさんインタビューもさせていただいています。例えば三味線や薩摩琵琶や太鼓など。中でも私が惹かれたのは篠笛です。私は映画も大好きなんですが、映画「宮本武蔵」の中で、武蔵の恋人であるお通が篠笛を吹くシーンがあって。とてもきれいな音色だったんですが、現実の世界ではちゃんと聴いたことがなくて、狩野泰一さんという篠笛奏者に取材させていただき、コンサートにも伺いました。狩野さんは、一橋大を出たあと佐渡を本拠地にする「鼓童」に入り、太鼓奏者としていたのですが、のちに独立され篠笛奏者になられました。彼の住む佐渡に取材に行ったとき、佐渡の生みを臨みながら、私のために吹いてくださった篠笛の演奏を今もはっきり思い出すことができます。それはそれはとても贅沢な時間でした。そのときの音階が、まぁなんともエレガントでした。聴いた途端に、頭に本当に“エレガント”という言葉が浮かんだのです(笑)。そこで、感動した私は狩野さんに「この音色の譜面を手に入れて練習すれば私にも吹けるようになりますか?」と聞いたのです。すると、狩野さんが笑うんですね。どうして?という顔をしていた私に、こう応えました。「篠笛には譜面はありません」と。最近は教えるために譜面を作ることもあるそうですが、基本的に、口承と手真似が伝承の方法なのです。その場で簡単な曲を教えてもらうことになったのですが、今度は、少しもなめらかに吹くことができない。吹くとすぐに舌で吹き穴を押さえるタッキングをしてしまうからです。タッキングは完全に西洋楽器の手法なんですね。子供の頃からリコーダーを吹いている日本人は、篠笛を吹いても自然とタッキングしてしまう。狩野さんから「日本の子供たちには、リコーダーではなく篠笛に接して欲しい。学校の音楽で篠笛を最初に習えば、誰もがお通のように篠笛を吹くことができますよ」と聞いて、本当にその通りだと思いました。日本人はリコーダーに触れたことはあっても、篠笛に触れたことがある人はほとんどいないでしょう。どこにでもある竹を切って筒状にし、口を付ける穴と指を押さえる穴を削って開けたものが篠笛。実は日本最古の楽器なのだそうです。大陸から雅楽の楽器として渡ってきたと言われていますが、狩野さんは民間にはもっと古くから庶民の間では吹かれていただろう、と言っていました。竹は日本全国、どこにでもありましたから。豊かな自然の中、農耕作業の合間に、祭りの日に吹かれた笛。人々は、笛の音に心を動かされていたでしょう。遠い過去の人々から受け継がれた音色だからこそ、現代の私たちであっても感情を揺さぶられるのだと思います。あのエレガントさは、人々がシンプルに、自由に、生み出した音色だからだと思います。

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マッキー:“エレガント”というのは、人の手がかかっているのに、人の手がかかっていないかのように生きているものだと思いますね。だからそこには強さもあるし、儚さや無常もあるのかな。

小松:篠笛も譜面がないから、人に教えるには聴かせるしかない。人々はそのきれいな音色を聴いて、自分で竹を割って穴を開けて吹いて真似てみる。それが音楽になっていきました。自由であること、凝り固まったルールがないということは、もっといいものを、とか、もっといい音を、いい旋律を…と言った欲求を生むのかもしれないですね。二郎さんが美味しいお鮨をつくるために攻め続ける姿勢と同じです。

マッキー:常に追い求めているということですよね。あの懐石料理の辻留の3代目である辻井義一さんは、北大路魯山人の鎌倉の家で22歳のときに1年間修行をしたそうです。いろいろなエピソードがありますが、例えばわさびを盛りつける時に、魯山人は彼特有の表現で「ざんぐり」盛りつけろと言うそうです。“わさびをおろしたままの形”で、ということを指しているようだが、これがなかなか難しいらしい。そして常々、「自然をお手本にしなさい」と言われていたようです。面白い話でいうと、ある日、庭で採れた小芋を煮ころがしにして出した時に、めったに美味しいと言わない魯山人が食べた瞬間に「美味しい」と言ったそうで、義一さんは思わず嬉しくて「ありがとうございます」と答えると、魯山人は「ん?」と不思議そうな表情を浮かべた。言い方が悪かったのかと、「大変、ありがとうございます」と深々と頭を下げてみると、「これはお前が偉いのではなくて、小芋が偉いのだ」と(笑)。

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小松:「美味しい」の言葉は、あなたにではなく、小芋ちゃんに言っているのです、というお話ですね(笑)。

マッキー:自然がお手本になっているというのは、魯山人が作る器にも言えることで、あるときね、魯山人が作った器に鱒の木の芽焼を盛っていただいたことがあるんですが、不思議なことに器と鱒が100年前からずっとそこに馴染んで生きていたような気配がありました。わざとらしさも、人間の意識みたいなものも微塵もない。器の上には、つまや付け合せもなく、魚だけがぽつねんと置かれているんです。器だけを見て美しいのではなく、料理を置いて初めて完結するというのかな。

小松:そこにある物が結実するためには、人や時間との関わりが必要ですね。私も江戸筆を作っている亀井正文さんを取材させていただいた時に、そう思いました。筆という道具が日本に伝わったのは600年ごろのことだといわれているんです。日本書紀に「紙と墨の製法を招来した」との記述があるので、その時に筆も一緒に伝来したと言われているんですね。それ以後、お経や書画に欠かせない物としてより良い筆が発展していったのです。亀井さんが作っているのは、江戸筆で、江戸中期に寺子屋が江戸の町にいくつも作られたのがきっかけで筆職人が増え、当時の製法が江戸筆として今に伝わっています。
筆は、どんなに高い材料を使ってもそれだけでは良い筆にならない。その役目を果たしてこそ、良い筆と言ってもらえるわけですね。つまり、文字を書いたり、絵を描いたりしてもらってこそ、価値を極めることができる。亀井さんが書道家の注文で作る筆は、書道家の人格や個性に合わせて作ると言っていました。自分が満足な筆を作っても意味がない、使う人が書いたものがいい字だな、この絵はこの筆だから描けたと言われて初めてその筆の使命が果たされる。私もその時に、筆を買ったのですが、まず、借り物の筆で試しに字を書いて、その字を見て、亀井さんが私に合う筆を選んでくれました。亀井さんに「使って筆に仕事をさせてくださいね」と言われ、時々、亀井さんの作った江戸筆を使っています。書きやすいので、もっと書きたくなる。まさに相乗効果です。

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マッキー:筆の入りとか、ハネとか、書き味が良いと気分が上がりますからね(笑)。

小松:日本人になくてはならない物が、様々な理由で立ち行かなくなって技術が伝承されずに廃れていく産業もたくさんありますね。江戸筆も、使う人も少なく、また原料がなかなか手に入らないそうです。いつまで作り続けられるか、という状況だとか。着物もそうですね。2013年に亡くなった市川團十郎さんはインタビューの際に「歌舞伎は着物にまつわる仕事の伝承の機会になる。その使命感はいつも持っています」とお話しなさっていました。着物を一生着ないという日本人もいるかもしれません。日本にしかなかった技術を一度失えば、再興することは容易ではないでしょう。本当に残念で、悔しいことです。

マッキー:どうにかしたいものだけど、難しい問題ですね。樽もそうです。醤油樽、酒樽とかは昔はすべて木製だったのに、今はステンレスに取って代わられていて、樽を作れる職人は堺に1人しかいないそうです。日本では古くから生活のあらゆるものが自然素材であることが普通だったのに、今、そうしたものがどんどん失われていきます。寂しいかぎりですね。

小松:失われたものを取り戻すことで風を巻き起こしている方もいます。古都京都で江戸時代から続く染屋「染司よしおか」の五代目、染織家の吉岡幸雄さんがそうでした。吉岡さんの工房で染織の取材をさせていただいたのですが、吉岡さんは失われた技術を復活させることで、新しい表現、作品を誕生させていました。それは、『源氏物語』五十四帖に沿って、往事の染色法そのままに再現してみせる、という途方もない挑戦でした。平安王朝の頃には、当たり前ですが、天然の原料だけで、実に鮮やかな色を生み出していた。吉岡さんにとって源氏物語は色を発想する刺激剤で、繰り返し読むことで源氏物語の登場人物の衣の色を見定めていくのですね。自然の中にある豊かな色彩を王朝の人々は身にまとっていたそうで、それを自然の染料だけで再現させていた。その上、王朝の人々は「かさね色」という手法で色をさらに演出していたのです。たとえば、桜の季節の着物なら、下から赤、桃、白絹と重ねて羽織り、色を作り出すのです。いくつものグラデーションで大和の色が表現されていたわけです。この美的センス、素晴らしいと思いませんか?日本人の「わびざび」の哲学に基づくと、墨色の世界画思い浮かびますが、実は、想像を超えるカラフルな衣装を楽しんでいたのですね。
吉岡さんを取材させていただいてから、私も「和色辞典」を購入し、時々眺めていますが、驚くような美しい色、知らない色がたくさんあります。もっと驚くのは、その色が全て、自然にある色だと言うことです。昔の人たちは、現代人には見えなくなってしまった色も見えて、心をときめかせていたのかも知れませんね。

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マッキー:今は人工的に作られた色も多いから、色を見る力も衰えているのかもしれませんね。テクノロジーで進化したように見えて、実は衰退したことのひとつなのでしょう。昔は普通に存在したもの、見えたものが失われていくのは残念でなりませんね。

小松:そうですね。でも、失った世界や物を取り戻そうとしている方もいますよ。たとえば、以前取材させていただいた富山県岩瀬の「満寿泉/枡田酒造店」の当主である枡田隆一郎さんは、地元の商店街がシャッター街をひとつひとつ買取り、修繕、修復して、江戸時代の街並みを再現しています。素晴らしいですよ。大工や左官、瓦屋によって次々と生されている家々には、職人やアーティストなどが住み、創作活動を行っています。若いアーティストたちを募り、そこを安い家賃で貸し出したのです。借りた側は住んでもいいし、工房やアトリエを作ったり、店を開き商売をしたりすることもできるようにしたんですね。そうしたところ、ベネチアングラスの創作作家、陶芸家、蒔絵師、木工彫刻家など、様々な人々が集まり、その地で素晴らしい作品を作り上げていきました。枡田さんは、「江戸初期の芸術家の本阿弥光悦が京都に開いた芸術村のようになればいいと思っています。若いアーティストが集まれば、それだけで町は楽しくなるはずですから」と、言っていました。枡田さんの個人の構想が町興しになり、今やインバウンドのひとつのスポットとなり、外国人も日本人もたくさんの観光客が訪れるようになりました。人が集まれば美味しいお酒と料理が必要なわけで、町では満寿泉が飲まれ、人と町とが一体になっています。もちろん、満寿泉は全国区のお酒で、私の家にもあるのですが、富山の岩瀬で飲むとまた美味しいのです。町が死んで廃れていく例も少なくないわけですが、発想と行動力があれば、事態は変革できると教わりました。
マッキーさんは、地方などに行かれて、あぁここは好きだなと思われることってないですか?

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マッキー:よくありますね。いつも思うのは、地元の人が「こんなことどうってことないよ」という事やモノほど、都会人にとってはものすごい価値のあることで、意外と自分たちの町のことをわかっていないんですね。これを盛り上げたら素晴らしいのに、というポイントに気が付いていないことが多い。

小松:私は、高知県の観光特使をさせていただいていますが、高知も魅力的なところです。人も自然も食べ物も、大好きです。

マッキー:高知はあまりにも平野部が少なかったため、産業が根付かずお金がなかったことが幸いして、自然がいっぱい残っています。80%が山地で、日本でも有数の自然を誇っていますね。

小松:高知城とか桂浜とか、土佐藩や坂本龍馬にまつわる観光地も素晴らしいし、田舎に行けば全然違う風景を見ることができます。室戸岬や四万十川の光景を見れば、雄大な自然に息を飲むでしょう。山間を行く列車は単線です。四万十川にかかる沈下橋は、雨が降ると山から大量に水が流れ込むから、あえて沈むようにつくられているんですよ。自然とうまく付き合うためのアイディアだとか、独特の文化や習慣もある土地です。

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マッキー:足摺遺跡の巨石群には行ったことがありますか?すごいところです。世界の学界では、ストーンヘッジの数倍すごいと言われていたのに、どうしたことか石を退かして、公園を作ってしまったんですね。それはもう、世界中の学者からたたかれたのに、日本では案外そのことを知らない人が多いし、結局はその後に元に戻してもいない。今でも、一部、まだ手つかずの一角も残っていて、登ってみると、どうしてこんなにも巨石が重なっているのだろうと、とても不思議な感じがします。僕はあまりスピリチュアルなものは感じないタイプだけれど、明らかに自然が創ったものではないな、と“ここには何かある”と思いましたね。

小松:世界中の色々な国に聖地は存在するけれど、日本の各地にも神聖な場所があります。長崎県の壱岐島を訪れたときにも、大きな岩を信仰の対象にしている神社があって、遠い昔の人々の生活を思い描いていました。そうした場所のありのままを残しながら、国内外の人々にも知ってもらいたい。そこで、さらにその土地土地の食文化、伝統、芸術も広めて、未来へと存続させていく。そういう活動にみんなが携われたら素敵だなと思うんですよね。実は私もそれなりに高知通を自負していて、これほどまでに高知を愛しているというのに、最近まで知らなくて悔し泣きをした経験があります(笑)。それは7月に高知で開催される絵師金蔵の「絵金祭り」です。マッキーさんはご存知ですか?

マッキー:一体どんなお祭りなんですか?

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小松:高知城下の髪結いの子で絵が上手く江戸で修行した後に土佐家老の絵師になるのですが、贋作事件に巻き込まれ、破門を言い渡され、その後、姿を隠しました。放浪の末、高知の赤岡町に辿りつくと、「絵師金蔵」を名乗り、人々に請われるままに芝居の錦絵、屏風絵などと描いていきます。いわゆる錦絵です。歌舞伎の芝居が題材になっているのですが、おどろおどろしく鮮やかで、どれも傑作。金蔵の描いた錦絵のレプリカが絵金博物館には展示されていて、いつでも目にすることができるのですが、1年に1度だけ、今でも各民家に残っているホンモノが公開されるんです。オリジナルの錦絵が傷まないように、それを提灯の明かりをかざして見るのだそうですが、鳥肌ものだとか。知らなくて損をしていたと本気で落ち込みました。今年は絶対に見に行きたいです!

マッキー:へぇ、それは知りませんでした。ぜひ見てみたいですね。僕も高知には縁があるほうだと思いますが、坂本龍馬の木刀がある神社が高知市内に存在していることはこの間教えてもらいました。知っていますか?

小松:知らないです。本当に知らないことだらけですね(笑)。

マッキー:僕は真冬に行って、龍馬の木刀を握らせてもらったんですが、その木刀には龍馬の魂が宿っている感じで、なぜか木刀を握ったら大汗をかきました(笑)。神社の方は、「これを握ると龍馬が語りかけてきますよ」なんて言っていて、最初は半信半疑でしたが、何かグッと熱く感じるものがありましたね。

小松:ファンにはたまりませんね。その木刀は素手で握らせてくれるのですか?

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マッキー:いや、さすがに手袋をしてですが、龍馬が打った跡が残っているんですよ。それで、僕が一番驚いたのは、龍馬の生誕の日には毎年その神社にファンたちが集まるらしいですが、今年は何人来たのかと訪ねたところ、30人くらいだったって。たったの30人ですよ!龍馬がこれほど有名でも、あの場所はあまり知られていないんですね。

小松:では、マッキーさんは柴巻にある八畳岩はご存じですか?龍馬の坂本家はこの周辺に坂本山と呼ばれるほどの持ち山があり、柴巻にはその山を管理する家があり、山守をする田中良助さんに頼んでいました。龍馬より十五歳年上の良助さんを龍馬はお兄ちゃんのように慕っていて、柴巻を訪ねては将棋を指したり、良助さんの子供たちと遊んだりしていました。良助さんの家から少し歩いた山の上に、八畳岩という大きな岩があるんですね。天然の大岩の上で、龍馬は良助さんとよく酒盛りをしていたそうです。その八畳岩から高知市内を眺めると、城下町は本当に小さくて、その周りには境目のない空と海が一面に広がって見えます。私はその景色を見た瞬間に、龍馬はこういう景色を見ていたのだから、藩だとか、佐幕だとか、攘夷だとか、そういう小さなくくりに縛られてはならないと感じることができたのだと思いました。日本という価値観、アメリカへの憧れの原点は、絶対にこの風景です。脱藩を決めた彼の原風景がそこにはあります。
高知観光特使になって、龍馬のことをさらに調べていくと、私の友人が「だったらあの店に行かなくちゃ」といって横浜には田中家という料亭に連れて行ってくれました。横浜駅西口から歩いて10分くらいのところにあるんですけれど、なんとそこは龍馬の妻だったおりょうが働いていたんですよ。龍馬が亡くなった後、おりょうは横浜に出て来て英語を学んでいたそうです。彼女は田中家で働きながら、勉強をして、アメリカに渡ろうと計画していたとか。田中家はおりょうさん目当てのお客さんで大盛況だったそうです。しかし、おりょうも結局はアメリカに渡らず、再婚をして横須賀に移り住み、横須賀でその生涯を閉じました。
田中家さんを私が訪れた際には、江戸時代から残る座敷に通されました。私の座った席は西郷隆盛、友達の席は長州藩の高杉晋作。私の家の近所にも、こんな場所がありました。これからは、日本人の歴史とか、それが息づく場所だとか、それによってつくられたものだとか、料理、建築などに着目し、そうしたものにエネルギーを注ぎたいです。時は流れ、時代は巡る。そのことを意識すれば命の大切さを思うし、自分の人生が、常に一瞬一瞬死に向かっていることを意識する。だからこそ、同じ時代に生きていることがどんな奇跡であることを思いますね。マッキーさんと出会えたことも、奇跡です(笑)。

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マッキー:そういう思いは、いつでもちゃんと持っていたいですね。きちんと自分の国のことを知ろうとする姿勢、様々なモノ、コトの本質を見られるようになったら、本当の意味でエレガントな人になれるのでしょう。

小松:本当にその通りですね。死ぬまで、好奇心旺盛に、エレガントに生きたい(笑)。これからも、また色々な土地を訪れ、歴史に触れ、その感動をマッキーさんや皆さんと共有していけたらいいなと思います。

マッキー:同感!今度はぜひ旅をしましょう(笑)。

小松 成美
(Narumi Komatsu)
神奈川県横浜市生まれ。作家。
広告代理店、放送局勤務などを経て、1989年に執筆を開始する。
主題はスポーツ、映画、音楽、芸術、旅、歴史など多岐に渡る。情熱的な取材と堅い筆致、磨き抜かれた文章 にファンも多い。
スポーツアスリートへの真摯な取材には定評があり、スポーツノンフィクションに新境地を開いた。また歌舞伎を 始めとした古典芸能や 西洋美術、歴史などにも造 詣が深く、関連の執筆も多い。現在も数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラムを執筆、雑 誌や書籍にて精力的に発表している。
マッキー牧元
(Mackey Makimoto)
1955年東京出身。
㈱味の手帖 取締役編集顧問/タベアルキスト。
立ち食いそばから割烹、フレンチからエスニック、スィーツから居酒屋まで、日々飲み食べ歩き研究する。料理だけでなく、料理の向こうにいる職人としての料理人や、サービスの人々のルポも行う
連載「味の手帖」「食楽」、「料理王国」他多数。
著作「東京 食のお作法」文芸春秋刊、「ポテトサラダ酒場」監修 山と渓谷社、「間違いだらけの鍋奉行」講談社他

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