Qorretcolorage - コレカラージュ

彩り重ねるコレカラの人生
大人のハッピーエイジングメディア

憧れのレジェンドたち

長濱治さん(写真家)

Text : Masami Watanabe
Photo : Miwa Yamaoka

かねてより、大先輩の生き様や言葉を書きためておきたいという思いがありました。それがついに実現!ひとつのコト以上の何かを成し遂げ、今なお現役で活躍中の人生の先輩たちの「今」「昔」「これから」のエピソードや思いについて伺いました。
長濱さんは日本を代表するカメラマンのおひとり。世界を舞台に多くの魅力的な被写体を撮り続けて、常に「ヒト」にフォーカスしてきた視点と背景については、“ヒトマガジン”を目指すコレカラージュとしては、いつか伺ってみたかったお話です。最近では、原宿を舞台に小泉今日子さんをはじめとする、あらゆる分野でご活躍中の皆さんを撮り下ろした「THE TOKYO HUNDREDS原宿の肖像」という写真集が話題に。この連載のトップバッターとして、素敵なエピソードを色々と語って頂きました。
コレカラージュ(以下、コレ):以前に、「愛される店」の特集をコレカラージュで企画した際に、OSTERIA TOTTOの根本シェフを取材した中で長濱さんの写真集を見せていただいたことが、実は今回のインタビューのきっかけとなりました。「猛者の雁首」は、コレカラージュで将来的に作りたいと思っていた“ヒト図鑑”の内容そのもので!(笑)
今日はお話を伺えることを楽しみにしてきました。
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長濱さん(以下、敬称略):そんなことを言われるとちょっと照れるね(笑)。でも、あの写真集はちょっと面白いでしょ。
コレ:とってもカッコイイ“おじさん図鑑”ですよね(笑)。ちなみに、根本シェフの宝物を伺ったら、お店に飾ってある長濱さんの作品と仰ったところから、「猛者の雁首」、「Hell’s Angels」などの写真集を見せていただきました。どちらもとっても興味深いですね。「Hell’s Angels」は1960年代の写真も含まれているそうですが、今見ても全然古くない。あれは、どんな経緯で撮ることになったのですか?
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長濱:アメリカに行ってみたくて、思いきって行ってみた。25歳のときだから、1966年だったかな。当時は、反戦運動や学生運動(ヒッピー)、そしてロックが象徴的で、アメリカは混沌としている時代だったんだけど、見るもの、聞くものが刺激的でね。日本でテレビや雑誌を通じて見ていたアメリカは、アイビーリーグだとかキレイな一面でしかなくて、実際に見たり、感じたりしたものとのギャップがすごかったんだよね。ただね、僕はどうしてもヒッピーたちには心惹かれなかった。なんか、学生の延長で、お遊びっぽいじゃない?そんな時に、偶然出会ったのがバイカーの集団“Hell’s Angels”。熱狂的なバイク好きのギャングたちとでも言ったらいいのかな。僕もバイクは好きだったから、なんとなく意気投合して、そこから彼らとの交流が始まった。
コレ:それで、彼らの密着取材を始めたのですか?
長濱:密着なんていう大袈裟なものではないけれど、アジトに連れて行ってもらってボスには会いましたよ。何度か写真を撮らせてほしいと話してみたんだけれど、なかなかOKがもらえないでいたのね。そんな時、ちょうど僕が話して仲良くなった奴がベトナム戦争の兵士として横須賀に立ち寄ったことがある男で、半年くらい日本に滞在したらしいんだけど、日本人にすごく良くしてもらったからと、日本人の僕のためにボスに口をきいてくれたわけ。彼らは、アメリカでは伝説の三大集団と呼ばれていたほど当時は有名なグループだったので、マスコミなんかも追いかけまわしていた。だから、写真を撮られることを基本的には嫌がっていたんだけど、日本人も日本もよくわからないし、まぁいいかということでようやくOKが出たのね。
コレ:長濱さんの粘り勝ちですね(笑)。どうして、それほどにまで惹かれたんでしょう?
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長濱:とにかく、男臭くてカッコ良かったんだよな。ストリート系ファッションなんかは、今でも彼らをお手本にしていたりするし、時代を超越している感じがするでしょう。チャラチャラしていなくて、ホンモノのバイク好きたちが集まっているから、ある意味ピュアな男たちなんだよ。いつ、どんな場面を撮っても絵になった。
コレ:確かに、今、見てもカッコイイと思います。1969年〜1981年までを撮り貯めたんですよね?どれも古めかしくないからすごい。ところで、長濱さんのカメラマンとしてのキャリアはどうやってスタートしたのですか?
長濱:元々はね、僕はカメラマンになる予定ではなかった。美大で彫刻や絵画をやっていたので、仕事もその方面に進みたいと思っていたんだけれど、 高校の同級生に加納典明がいて、彼は高校卒業後に既にカメラマンとしてのキャリアをスタートさせていたから、“おまえもやらないか”みたいに声をかけられてね。ちょうど就職を考え始めた頃だったので、なんとなくカメラも悪くないかなと思って、広告会社の写真部に就職することにしたのね。
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コレ:そうだったんですか。最初からカメラマンになろうと決められていたのか思っていました。
長濱:それが全くそうは思わなかった。学生時代に、NIKON “F”というカメラをアルバイト代で購入したんだけど、当時使っていたのは親父で、僕は買ってからしばらくは使ってもいなかった。結果的に、カメラマンという職業を選ぶことになったけれど、このカメラを最初に手に取ったときにはそうなるとは想像もしていなかったね。人生は不思議だよね(笑)。
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コレ:それで、広告会社の写真部ではどんなことをされていたんですか?
長濱:当時、その会社の写真部にはカメラマンが6〜7人所属していたんだけど、リーダー的な存在だったのが立木義浩さん。僕も彼の下で、アシスタントのようなことをしていました。それである時ね、立木さんに「おまえは、上手いし、センスもあるから、もうこれからは好きに撮っていいよ」って言われて。それで、ずっと行ってみたかった憧れのアメリカに行くことになる。
コレ:なるほど。それで、「Hell’s Angels」に繋がるんですね。先程、初めて買ったカメラのお話が出ましたけど、当時としては高額な買い物ですよね?学生時代はどんなアルバイトをされていたのですか?
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長濱:美大で彫刻をやっていたから、当時の帝国劇場の天井の修復だとか、美術系(技術系)のアルバイトをすることが多かったんです。帝国劇場の修復の仕事は、当時の平均的な日給が400円くらいなのに対して、1000円ももらっていたからね。それを貯めたお金で、6万いくらかでNIKON Fを購入した。
コレ:普通のアルバイトの2倍以上ですか。カメラも今の金額に換算したら、数十万円ですよね?20万円くらい?それを今も持っていらっしゃるのも素敵ですね。ところで、長濱さんはご出身はどちらなんですか?
長濱:15歳までは、名古屋。だから出身は愛知県になるね。それで、高校生のときにサラリーマンだった親父の転勤で東京に引越してくることになって、それからはずっと東京。
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コレ:どんなお子さんだったのでしょう?
長濱:小さいときから絵を描くことが好きで、絵と恥は昔からかいていたね(笑)。それとね、音楽も大好きだった。戦後まもなく進駐軍が入って来た時代だから、進駐軍放送を聴いたりしていたので、自然とスウィングだとかジャズ、ブルースなんかが耳に入ってくる環境だったんだね。両親も音楽は好きだったみたいで、家にはレコードも沢山あったから、高校生くらいになると勉強しないでジャズ喫茶にばかり通っていました(笑)。僕自身もトランペットやアルトサキソフォンを演奏するし、実は時々ライブもやってる。
コレ:えー、すごい。さすがに多才ですね!(笑)
長濱:音楽好きが高じて作ったのが、この「MY BLUES ROAD」と変わりダネでは、宇崎竜童とコラボした「や・ぶ・に・ら・み」という写真集。「MY BLUES ROAD」は、いつかアメリカの黒人音楽のルーツを特集したかったのを実現したもの。アメリカ中南部ミシシッピに滞在して、ブルースの歴史本にも出てくる著名人Jack Owensらも撮影したりして、かなりいい出来だと思う。これね、もう絶版になっているので、オークションでかなりの高額で取引されているんだよね(笑)。
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コレ:みなさん、良い顔をしていますね。そして、「や・ぶ・に・ら・み」も気になります・・・。
長濱:宇崎竜童は僕からカメラを習っていた時期があってね。それで、僕が彼に毎日の生活を写真に収めてみたらと提案してみた。だって、彼の生活は僕たちが知り得ない場面だったり、入り込めない場面がきっとあるわけじゃない?だから普通じゃない日常を撮り貯めたら面白いんじゃないかってね。それで、本当に1年くらい撮り貯めた。僕はカメラに関してはプロだから、ちゃんとシチュエーションを設定した写真をこの写真集用に撮って、それらと宇崎竜童が撮影した計算のない日常の写真を混ぜてみたんだよね。どちらがどの写真を撮ったかはわからない構成になっていて、なかなか面白いでしょう(笑)。
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コレ:確かに、どちらが撮影者かわからないですね。そして、なんと言っても被写体が豪華でびっくりです(笑)。きっと色々なご経験をされてきた長濱さんですが、人生の転機は何だったのでしょうね?
長濱:やっぱり、カメラマンとしてのキャリアのかなり早い段階で“Hell’s Angels”に出会ってしまったことかな。ライフワークのように、10年以上撮り続けたからね。あのタイミングでアメリカに行ったことは、転機だったと言えるでしょうね。
コレ:では、振り返ってみてピンチはありました?
長濱:ピンチをピンチと思わないタイプだから、これと言ってないかな。生命の危機みたいなことでいうと、アフリカで助手がさらわれそうになったのを必死で助けたことはある。もう無我夢中で声を出して、なりふり構わずカメラを振り回してね。それから、シリアで地雷原に足を踏み入れたこともある。でもね、僕が思うには、安全そうに思える場所でも安全じゃなかったりすることもあるわけじゃない?だから、どこにいても危機的な状況に陥ることはあり得るんじゃないかって。ただね、ひとつ言えるのは声が大きいことは身を助けるってことかな(笑)。
コレ:やはり、かなりのご経験をされていますね(笑)。熊に遭遇したエピソードなんかもありそうですよね?(笑)
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長濱:熊はないけど、サイはありますよ(笑)。
コレ:わ、やっぱり!(笑)
アメリカで有名なギャングたちに密着取材、アフリカでサイに遭遇・・・など、あらゆる経験をされている長濱さんがインスピレーションを受けるものって何からなんでしょう?
長濱:僕は映画が大好きで、時間があるとよく観ているんだけど、昔からどちらかというとストーリーはどうでもよくて、映画の中のワンシーンを切り取って覚えているんです。シーン毎の構図で好きとか嫌いとかがあって、絵のように記憶していると言ったほうがわかりやすいかな。だから、モノクロだった頃のフランス映画のシーンなんかが僕の撮る写真の構図には影響していると思う。それからね、本も好き。特に文庫本ね。ノンフィクションよりも、フィクションだよね。文学が好きなんだな。本の場合も、言葉から絵を想像する。そして、その情景が強く印象に残る。映画と同じように、文学から想像したワンシーンが僕の写真に影響を与えていると思う。
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コレ:映像や絵から想像する言葉、言葉から想像する映像や絵。どちらもありますね。
長濱:僕は本を選ぶときは、冒頭の数行をまず読む。そこで絵が浮かんだり、グッと引き込まれるようなものを読みたいと思うんだよね。例えばね、僕が大好きで何度も読み返しているものが、ギャビン・ライアルの「深夜プラス1」。この冒頭は、世界中の小説家も注目した名文!“パリは四月である。雨もひと月前ほどは冷たくない・・・”。それから、レイモンド・チャンドラーの「ベイシティブルーズ」。この冒頭は“あれは金曜日だったに違いない。隣のマンションホテルの喫茶部から流れてくる魚の匂いが、それを土台にしてガレージでも建てられそうなほど濃かったからだ・・・”。すごいでしょう?風景が浮かびますね。あとは、ヘミングウェイの「殺し屋」。これも名作。“ヘンリー食堂のドアが開いて殺し屋二人が入って来た。”どの作品も、意外な言葉で始まるんだけれども、すぐに情景が浮かぶ。面白いでしょう?こういう言葉が僕の思考の中に影響を与えて、写真のアングルだとかにも出ているんだろうと思いますね。
コレ:面白いですね。確かに、「Hell’s Angels」のキャプションもこういったことが影響しているのでしょうか。文学的で、少し外国語のような印象を受けました。
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長濱:そうですか?でも、きっといろいろなところに影響は出ているね。文庫本はポケットに入るし、本当に素晴らしいと思う。1冊持っていれば、ものすごく想像力も鍛えられる。僕はポケットの頭脳と呼んでいるんだよね(笑)。
コレ:またオリジナルな表現(笑)。確かにそうと言えますね。若い人たちにももっと活字を読んでもらいたいですね。何かほかにも今の若い世代に伝えたいメッセージはありますか?
長濱:何事にも先入観を持ってはダメね。頭はいつもやわらなくしておくべきだということ。それから、何かを一生懸命にやっていると、そのときには見えていなかった次のことが必ず出てくる。だから、目の前のことに全力を注いでくださいということでしょうか。
コレ:長濱さんが仰ると深いですね。コレカラージュでは、日本の魅力を再発見しようという「Wonderful Nippon」という連載も始まったのですが、日本については何かコメントはありますか?例えば、長濱さんは現在、沖縄の人々にフォーカスした写真集を製作中と伺いました。沖縄の魅力って何でしょう?
長濱:僕の名前「長濱」というのは、どうやらルーツが沖縄らしいということが最近わかってね。実際に我が家は違うのだけど、もしかして遠い昔は沖縄にいたのかもしれない。沖縄で取材/撮影をしていると、いろんな方に「あなたは、うちなんちゅですか?」と聞かれる。沖縄の言葉で、うちなんちゅう=沖縄人を意味して、沖縄以外から来た日本人=やまとんちゅうと呼ぶみたい。名前を見て、そう思われるんでしょうね。それとね、僕は初めての写真集も個展も沖縄がテーマだった。だから、沖縄にはとてもご縁があるし、人も環境も理屈ではなく、好きなんだな。今取りかかってる写真集は、僕自身の原点回帰という意味合いも含んでいるんですよね。そして“日本”ということで言えば、沖縄に限らず、なるべく身をさらして日本の田舎を歩いて見ることをお勧めしたい。きっと“日本にはこんなところがあるんだ”とか、日本って面白いと感じると思う。こんなに小さな国なのに、案外広い。そして、北海道と九州では全然違うでしょう。
コレ:本当にそうですね。日本って狭いようで広く、奥が深い。太平洋側、日本海側でも全く違いますしね。では、長濱さんが次に写真集の題材にしたい土地はどこですか?
長濱:東北だな。今までは南に行くほうが多かったんだけれど、東北では、あれだけのことがあったわけだし、早く行っておかなければと思います。
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コレ:では、沖縄の次はぜひ東北6県をテーマにして作品を作ってください。そして、その後はそのまま全都道府県の写真集をぜひ出して頂きたいです。つまり、まだまだ現役で、長生きして頂かなくてはなりませんね(笑)。
長濱:どこまでできるかわからないけれど、絵を描くために手と頭を動かしているし、写真を撮るために動き回っているから、年齢のわりに細胞は若いはず(笑)。東北は本当に撮りたいね。沖縄が完成したら、日本中の本を出すことを長生きのモチベーションに考えてみようかな(笑)。
コレ:はい、ぜひ。真剣にご検討をお願いします。本日はありがとうございました。

長濱 治
Osamu Nagahama
1941年名古屋生まれ
1964年多摩美術大学彫刻科卒業
1966年よりフリーのカメラマン
代表作 沖縄写真集「暑く長い夜の島」
青春バイカー「ヘルズ・エンジェルズ」
ブルースの起源「マイ・ブルース・ロード」
アメリカ一人旅「アメリカン・スクランブル」
日本の伝統「文楽の頭」
100人の猛者「猛者の雁首」