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OTONA LOUNGE

齊藤 美紀(utide代表/インテリアデザイナー)小枝 絵麻(Food & Wine Specialist)シー・ユー・チェン(株式会社シーアイエー 代表取締役会長)

Text : Masami Watanabe
Photo : Kumiko Suzuki

April 8th 201

かっこ良くてチャーミングな大人たちの現在、過去、未来…、その生き様や考え方を垣間みることができ、Mirroirウェブの読者の皆様にもっと楽しい「今」、さらにポジティブな「明日」を提供する対談企画です。各月のゲストが翌月にはお友達を招き、ホストになるリレー形式で展開していきます。

今回は、前回のゲスト、株式会社シーアイエー 代表取締役会長 シー・ユー・チェンさんが数々のプロジェクトでチームを組んできたご姉妹にバトンを繋ぎます。

お姉様の齊藤美紀さんは、住宅専門のインテリアデザイナー。ユニクロ・ロンドン進出、出光興産リニューアルをはじめ、数々なプロジェクトに携わってきました。妹の小枝絵麻さんはフード&ドリンクのスペシャリスト。特にカリフォルニア料理にかけてはアンバサダーを務めるほど!つい最近ではアニヴェルセル表参道のカフェのメニューをフルリニューアルしました。チェンさんに「スーパーシスターズ」と言わしめる、その人柄とパワーの源に迫ります!

東京の「住」をかっこ良くしたい!

チェン氏(以下、敬称略):リヴァンプの澤田さんから回ってきたバトンを誰に繋ごうかと考えた時に、澤田さんから紹介された美紀さんの顔がパッと浮かんできてね。それで、今回はこのスーパーシスターズがいい!と思って、こういう運びになったわけだけれど、二人の色々な話をあらためて聞かせてもらいたいな。美紀さんは(僕の会社)シー・アイ・エーで出光やアルゴ、Peach・・・蒼々たるプロジェクトを歴任してくれた仲間。妹の絵麻さんも、美紀さんを通じて知り合って、僕たちと食関係のプロジェクトで一緒に仕事をし、とっても頼りになる人。

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いつも凄いなぁと感じるのは、2人ともどんな相手もちゃんと説得してくるところ。そして、どんな時も最高のパフォーマンスできっちりとプロジェクトを完了する。これだけ仕事ができる2人なのに、それぞれに3人ずつ子どもがいるママでもある!どうしたら、そんなにパワフルにハッピーに生きられるのか、その秘密を教えていただけますか?

美紀さん(以下、敬称略):父が商社勤めだったので、幼少の頃はイラン、その後はアメリカで育ちました。でも、高校生になるときに、どうしても日本に帰って日本の学校に行ってみたい!と強く思うようになって・・・。その頃、まだ家族は全員アメリカ在住だったので迷いもありましたが、単身帰京し、ICU(国際基督教大学付属高校)に入学。そこから大学は、慶応の経済学部に進学しました。大学卒業後は実は大学院に進学したいとずっと考えていて、両親にも相談して当時家族が住んでいたアメリカ東海岸の近く、ニュージャージーにあったプリンストン大学の大学院を目指したいと思いつつ、両親には「浪人は駄目!」と言われていたので、一番入りやすかった慶応大学の大学院も受けることに・・・。

ところが、まさかの試験中に居眠りという失態を!(笑)
もしかしたら浪人してしまうかもしれないと思い、就職も考えなくてはと。

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チェン:すごい。そんなドラマがあったんですね!でも、なぜインテリアとかアーキテクトの方向に興味を持ったの?

美紀:アメリカから東京に戻った時に、なんだか日本の住環境に違和感を覚えたんです。シャネルやルイ・ヴィトンを着たり持ったり、メルセデスベンツやポルシェに乗ってる人が狭いアパートに住んでいる・・・。「衣」も「食」も素晴らしいのに、「住」が欠如しているように思えて。だから、日本の(東京の)“住環境”を素敵にしたいと思って。

チェン:なるほど。それで、一番最初はどこに勤めることになるの?

美紀:当時、自宅に届いていた膨大な就職資料に目を通していた時に、あるチラシに目がとまった。そこには、「あなたは10年間トイレの設計をしますか?それとも1年目からマンションの設計をしますか?」と書いてあって・・・。日栄興産(現、スペースデザイン)という会社だったんですけれど、気になって受けてみました。
あれよあれよと面接が進み、最終面接であのリクルートの創業者の江副浩正さんが登場。まだ大学院進学をアメリカにするか日本にするか迷っていた私に、江副さんは「アメリカの大学院に行くより、うちで働きながら慶応の大学院に行ったらいい。仕事も勉強も両立させてあげます」と仰ってくださって。正直なところ、私はずっとアメリカにいたので、当時江副さんがどなたなのかをよく知らなかった(笑)。それでも少しは悩みましたが、結局、日栄興産に就職を決めました。

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チェン:そうだったんですね。それで、本当に1年目からマンションのデザインをさせてもらえたのですか?笑

美紀: はい。ですが、設計だけでなく新卒人事も担当しました。「やりたい事を実現するには、まずは会社を作らなくては」と言われ、マンションを担当しつつ、入社して間もないのに新卒説明会でお話したり、インターンの企画をしました。お給料はとてもよく、1年目からアムステルダムやニューヨークでの研修にも行かせて頂きました。江副さんには「好きな仕事と得意な仕事は違う。君は、設計とかデザインよりも、デザインを横串でみていくクリーティブ・ディレクターの仕事が得意だと思う」と言われ、途中からマンションの設計ではなくマンション全体のデザインをみる仕事をさせて頂きました。学生と新入社員の二足のわらじは大変でしたが、今思い返すと楽しい仲間達と同じゴールに向かって仕事が出来た最高の時間でした。当時のチームには、R不動産の吉里さんや、candeoホテルズの穂積さんとか、面白いメンバーが集まっていました。今その世界で活躍中の面白いメンバーが沢山いましたね。
そういう意味でも、江副さんは私の人生においては大変お世話になった恩人です。

思いがけない転機

チェン:面白いね。そこから、どうやってユニクロ・・・ということになったのでしょう?

美紀:幸運なことに、江副さんの下で様々な面白いプロジェクトに関わらせてもらっていたんですが、同じ感覚を持っている人がそんなに多くはなかったのです。例えば私が携わらせて頂いたマンションを、グラフィックデザイナーがパンフレットを作り、営業マンがモデルルームで販売する・・・プロジェクトに参加しているメンバー全員が同じ方向に向いていれば良いのですが、なかなかそこの意思疎通が取れていない為に、お客様に同じメッセージが発信できていなかったのです。そんなジレンマが重なっていたある日、私がそのことを日栄興産の人事の方に話したところ、「昨日、同じ話を柳井さん*がしていたよ」と。(*ユニクロ現代表兼会長 柳井正氏)
「今度会ってみたらいいじゃない」なんて言われて、その直後に気軽な気持ちで会いに行ったのです。ある週末の午後、とても暑い日で、私はビーチサンダルで、本当に気軽な格好で・・・笑。そうしたら、待っていたのは柳井さんと澤田さんだった。いろいろとざっくばらんに話をしたら、「君、面白いね」となって、そのままユニクロに転職することになったのです。

チェン:そういうことだったんですね。人生って、何があるかわからないね。

美紀:本当に(笑)。ユニクロに転職した当時は、まだ山口県の本社から東京オフィスを渋谷マークシティに設置したばかりのころで、ショップも原宿店がオープンしたて。私は30歳少し手前で、ファッションもユニクロのことも全然知らなかった。まずは社長室付で入社したものの、周囲からは「小娘が何をしにきた?」といわんばかりの痛い視線を浴びる日々・・・。誰にもランチに誘われなかったくらい(笑)。まだ若かったですし、小さい会社しか経験していなかったので、ポジションの重みもよくわかっていなかったんです。

そんな状況だったある日、澤田さんから「おまえ、英語できたよね?」と聞かれて、当時水面下で進行していたユニクロ・ロンドン店オープンのプロジェクトチームに入ったらどうかと勧められる。自分としても、何か結果を出さなくては!と思っていたところだったので、即決してロンドンへ。
そこからロンドン店オープンまでの間、テレンス・コンラン氏などのデザイナー候補のピックアップから、資料作りから、色々と奔走。そうした忙しい毎日の中で、日本から出張でくるスタッフともどんどん打ち解けていきました。

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チェン:へぇ〜、知らない話がいっぱいありました。それでは、美紀さんの人生に強く影響を与えた人を整理するとどうかな?

美紀:やっぱり江副さん。そして、柳井さんと澤田さんでしょうね。でも、その後に出会うチェンさんも大きい存在です。そして夫と学生時代に出逢い、結婚したことがやっぱり私にとっては大きいパワーになっていますね。彼はとても温和な人で、一緒にいて柔らかい空気を作ってくれる。

チェン:僕と知り合ったのは、美紀さんがご主人と世界に放浪の旅に出かけて戻ってきた頃でしたね。

美紀:そう。27歳で結婚してから2人とも長い休みも取らず働いていましたが、ユニクロでの仕事も落ち着いてきたころ、夫が「1年間旅に出ないか」って言い出してね。当時、仕事も楽しく、その先の展望もみえてき始めていた時期だったので迷いましたが、結局辞めて一緒に旅に出ることを選びました。バックパック担いで、2人で南米を中心に1年かけて世界を回りました。
戻ってきて、さぁこれからどうしよう・・・と思っていた時、澤田さんがチェンさんを紹介してくれたのがきっかけでしたね。

チェン:そうそう。それからはいくつもプロジェクトを共にしていますから、よく知っている(笑)。そんなバイタリティ溢れるお姉さんの美紀さんを通して、僕は妹の絵麻さんと知り合うわけですが、絵麻さんの話もちゃんと聞いてみたいですね。

「食」コミュニケーション

絵麻さん(以下、敬称略):私は姉とは4つ違いで、イランで生まれました。4歳でアメリカに移り、そこからはほとんどアメリカ育ち。中学2年〜3年のほんの1年足らずの間だけは実は日本で過ごしたことがあるのですが、当時はあまりにも日本語ができなくて苦労しました(笑)。でも、当時、ものすごくハートフルな素敵な先生と巡り会うことができたお陰で、日本語の苦手な私もすんなり日本の学校に馴染めて、楽しい思い出がいっぱいできました。今思うと、あの頃の出来事はかなり大切だったなって思います。高校からはまたアメリカに戻り、いざ大学進学のときを迎え、私もアメリカに残るか日本の大学に行くかで悩みました。結局は、姉の大学生活がとても楽しそうだったので、私も東京に行きたい!と思うようになって。母からも絵麻はこのままアメリカの大学に行ったら、アメリカ人になってしまう・・・と心配されていたこともあって、上智大学比較文化学科に進学を決めることに。

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チェン:中学生時代の日本人の先生とはいい出逢いだったんですね。

絵麻:そうですね。当時、おじいちゃまからもらったお菓子の料理本を見て、作ったクッキーを学校に持って行ったことがあるんです。そうしたら、みんなとっても喜んでくれて、「美味しい!」って褒めてくれて・・・。日本語が上手じゃなくても、美味しいものでコミュニケーションが取れるんだって、子供ながらに感じたことを覚えています。実はそのときの経験が、食に興味を持つようになったそもそものきっかけですね。

チェン:なるほど、中学2〜3年生の体験が人生の大きなきっかけとなって、今の絵麻さんに繋がっているわけですね。

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絵麻:上智大学に進学してからも、実はその間にボストン大学に留学しています。そのときも、留学生同士のホームパーティなどで、手料理を持ち寄ったりして、「食」を通じてのコミュニケーションの大切さとパワーを実感しましたね。そうやって、どんどん「食」の世界に魅せられていきました。

チェン:それで、食関連の会社に就職を?

絵麻:食関連と言っても、実際にはどういうところに進めば良いかわからなくて、姉にも相談しましたね。結局、レストランのコンサルティング会社に進みたいと考えるようになって、いろいろと探して4社を受けてみることに。でも、そんな中で、何人かの方々から「最初はとにかく大きな会社で色々と学ぶチャンスを得るほうがいい」とアドバイスされたんです。偶然にも、日本におけるサービスやホスピタリティトレーニングの先駆者である力石先生が義兄のご両親と親しかったことから、力石先生直々のアドバイスを頂けて、まわりのみんなの意見を総合して、サントリーが経営するレストランコンサルティングの会社、(株)ミュープランニング・アンド・オペレーターズに就職を決めました。

チェン:力石さんといえば、日本のホテルや飲食業界における有名な方ですね。

美紀:本当にたまたま、夫の実家と家族ぐるみで仲が良くて、彼が力石さんを絵麻に引き合わせてくれたんです。

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西海岸に魅せられて

チェン:絵麻さんといえば、先日はアニヴェルセル表参道のカフェのリニューアルの際にメニュー(レシピ)を総合的に監修して業績を150%に引き上げた程、そのレシピ開発には定評がありますが、レストランのコンサルティング業からどのような経緯でレシピ作りの方向にシフトしたのでしょう?

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絵麻:就職した会社で様々なレストランビジネスに携わっていた中で、いつしか自分は秘書というか、通訳的な立場になっていきました。大きな案件もやらせていただいて、とても勉強にはなっていたのですが、やっぱりメニュー開発や料理にもっと携わりたいという気持ちが強くなって、当時の吉本社長に思いを伝えたところ、「だって、君は料理ができないでしょう」とばっさり(笑)。

そこで、一念発起して本格的に料理を学びに行こうと決意!
どこに行こうかと考えた時に、やっぱり行き先の候補として挙ったのはアメリカですね。このときも力石先生のアドバイスがありました。色々検討した結果、The Culinary Institute of America(通称CIA)に入学しようと考え至るのですが、今度は馴染みのある東海岸のニューヨーク校と西海岸のカリフォルニア校のどちらにするかで迷い、学校見学の末にカリフォルニア校に決定。
カリフォルニアワインの産地として名高いナパ・ヴァレーにあったカリフォルニア校は当時、まだ開校して数年でしたが、世界中から集まっている生徒たちの質の高さ、料理に対する真剣さがものすごかった。また、その環境もすばらしかったんです!東海岸育ちの私は、実はどこかで西海岸を小馬鹿にしていたかもしれません。でもね、カリフォルニア料理を食べた時に、こんなにフレッシュで美味しいアメリカ料理があったんだって、いい意味でショックを受けました。土地がいいので、野菜が美味しく、もちろんワインも素晴らしかった!笑

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チェン:そうでしたか。それで、今ではナパのアンバサダーを務める程のカリフォルニア料理通!笑

絵麻: アメリカ関係のお仕事を実はふたつさせて頂いています。ひとつはアメリカ大使館農産物貿易事務所の選任シェフ。これを務めるに至った経緯は、アメリカ大使館主催のあるパーティに出かけた際に、ビールは日本産、ワインはフランス、料理もひどくて、自分が見た素晴らしいアメリカ料理の要素が何ひとつ紹介されていなかったことに疑問を感じた私が関係者に問いただしてみたところから始まりました。なぜビールもアメリカ産、ワインは素晴らしいナパ・ヴァレーのもの、お料理ももっともっと美味しいアメリカ料理でプレゼンテーションしないのか、と。そうしたら、「やれるならやってみなさい」と言われちゃって。でも、そういわれると力が湧いてきて、やリ遂げてしまった!笑
今考えると、チャレンジャーですよね(笑)。

そのときの内容をとっても気に入っていただけて、アメリカ食材にもっと親しんで頂けるようにレシピを開発したり、アメリカ料理を紹介したり・・・と2008年より選任シェフを務めています。
そして、もうひとつはNapa Valley Vintnersの日本代表を昨年の夏から。ナパのワイナリーが450件以上が加盟しており、日本でナパのワイン(ワイナリー)をもっと知って頂く活動を行っています。

チェン:すごいよね。話をまとめると、絵麻さんの人生のキーパ−ソンは誰になるのかな?

絵麻:力石先生、吉本社長、そして中学時代の日本の先生、料理本をくれたおじいちゃま・・・かしらね。そして実は姉もかなりのキーパーソンです。

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スーパーシスターズの秘密

チェン:2人を見ていると、幸せオーラがいっぱいでハッピーなファミリー感が漂っているんだけれど、でも2人ともかなりビジネスセンスが高いと思うんですね。そして、どこに行っても、誰と会っても物怖じしない。やっぱりそれは、親のしつけとか、育った環境なのかな?どうやったら、そんなに上手に子育て/家庭と仕事を両立できるの?

美紀:私は親から「これしなさい」ということを言われたことがなくて、小さい時からなんでも自分で決めてくる子でしたね。だから親がどうのこうの、ということはないかな。逆に、両親はずっとアメリカにいて、近くにいなかったことがよかったということもあったかもしれません。自分で何でも考えて、責任を持つようになった気がしますね。それと、やっぱり様々な土地を訪れ、生活し、いろいろなカルチャーを見たり触れたりしてきたことが大きいのかな。
主人と両親のサポートがあるからこそ仕事と家庭を楽しく両立出来ていると思います。あとはお客様が私の状況をご理解くださって、お仕事を進めさせていただけている。全ては周りの皆さんの理解とサポートがあって成り立っています。本当にありがたいです。あとは、その中でプライオリティをきちんと決めてしまうことでしょうか。私は、今はやっぱり子育て/家庭が最優先。そうすると自ずと、空いた時間にできることだけを仕事として受けるようにコントロールするしかないですよね。

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絵麻:私の場合は、親よりも姉が母みたいでしたから、いつも姉に相談し、アドバイスをもらっていました。時には、こんなことまで!ということも、姉からダメ出しされたりね(笑)。2人とも長いこと海外にいたので、日本のことを知らないことが功を奏して、スゴい人に会っても知らない・・・とか、良い意味でマイペースにいられたということも「物怖じしない」に通じたのかもしれません。
それと、両立のことで言えば、私たちは2人ともフリーランス(自営業)で、だからこそ家庭と仕事のバランスが取りやすいということが言えるでしょうね。私は毎月、丸々1日かけてその月のスケジュール割りをします。もちろん、子供が優先。それを踏まえて、時間の隙間をうまく使って引き受けたプロジェクトが進行するように計画を立てます。基本的に数字は苦手ですが、それだけはちゃんとやっています!
でも、やっぱり夫や家族、仲間に支えられていることが大きい。感謝ですね。ラッキーだと思います。

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美紀:日本の企業は、もっともっと女性が子育てをしながら仕事ができる環境を整えて頂けたらと思いますね。なかなか難しい課題なんでしょうけれど・・・。

チェン:その点はどの企業も課題ですね。自分たちの経験を子育てに活かしたりもしているんですか?

美紀:うちは、6歳、2歳、1歳の3人の男の子で、わりと厳しく躾けているかも(笑)。
でも、「人と比較しなくていい」、「頑張れと言わない」ということは心がけています。“頑張る”ということは、誰か競う相手がいるからだと思うんです。個性があるって素敵じゃないですか。少しくらい何かができなくたって、他の何かが好きだったり、できるかもしれないでしょう。

絵麻:我が家は基本的には放ったらかし。姉からは甘やかし過ぎ!と叱られています(笑)。
3歳、1歳の男の子と3ヶ月の女の子で、まだ年齢も小さいので、いっぱい好きなだけ甘えさせてあげたい。栄養バランスよく食べてもらうために、ニンジンを食べたら、ジュースを飲んでもOKというように、アメとムチをうまく使い分けるようにはしていますが、基本は自由!ただ、兄弟喧嘩でお兄ちゃんが弟をいじめた時は鬼になりますね。

チェン:姉妹でも方針がまるで違うのね。絵麻さんのご主人は、美紀さんのご主人の幼なじみなのでしょう?不思議なご縁ですね。本物の仲良し家族だから、それだけ2人ともアクティブでハッピーなバイブレーションを発しているんですね。

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最後に、Mirroirの連載を読んでくださっている皆様にメッセージはありますか?

美紀: もっと日本を旅されると良いと思います。以前にCIAで一緒に働いていた仲間が、現在は鹿児島でご実家の事業を継いでいて、つい先日訪ねさせて頂いたのですが、食も、住も、海も、人々も、近隣の島々も、その環境がとても素晴らしかった!ちゃんとカルチャーもあって、発見がたくさんあったんですね。自分自身海外ばかりに目を向けてしまっていて意外と日本のことを知らないので、もっと知りたいなって思いました。私は特に「日本」を知らなすぎるのだと思いますが、日本人が日本を旅して日本をもっと知る事ができたら素敵だと思います。世界の人たちに、ちゃんと日本を語れる人になりたいし、そういう人がもっともっと増えたらいいと思っています。

絵麻:私の場合は日本の「食」、世界の「食」について、もっと理解して、ちゃんと楽しんでほしいということですかね。自分自身の今のテーマが研究するとか、探求すること。知らなかったことをそのままにしないで、ちゃんとそのときに知るようにしなくちゃって思っているんです。つい先日も、外国の方に味噌についてレクチャーする機会があって、いつも食べているはずなのに実はいざとなったら味噌について深いところまで知らない自分に気がつきました。そこからは徹底的に調べましたね。それで、ちゃんと理解するとセカイがグッと広がります。食べるとき、調理の方法に至るまで、毎日の食生活をきっと豊かにしてくれると思います。

美紀:それと、やっぱりやりたいことをする!好きなもの、好きなことを見つけるのは大事だと思いますね。

絵麻:姉に同感です。好きなことだから、どんなに時間がタイトでも力が湧いてくるんだと思います。好きなことをみつけたら、ぜひチャレンジしてみてほしいですね。

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齊藤 美紀
Miki Saito
utide代表/インテリアデザイナー
1974年東京で生まれ、中学までイラン・アメリカ東海岸で育つ。慶應義塾大学経済学部卒業後、慶応義塾大学政策メディア研究科でAUD(Architecture Urban Design)を専攻しながら、(株)スペースデザインにてマンション設計に携わる。(株)ファーストリテイリングに転職し、ロンドン進出、CIデザインを担当した後、ご主人と1年間の放浪の旅に出る。帰国後(株)CIAにてプロジェクトマネージャーとして活躍しながら、2004年に住宅専門のインテリアデザイン会社utideを設立し、多数の住宅を手掛けている。
http://www.utide.com
小枝 絵麻
Ema Koeda
Food & Wine Specialist
1978年テヘラン生まれ。 ニューヨークで高校までを過ごし、大学入学の為に日本に帰国。上智大学国際比較化学部を卒業後、飲食店のコンサルティング企業に入社。スキルアップの為、2004年米国 CIAグレイストーン校に留学。 卒業後プライベートワイナリー「ChalkHill」で働き、料理とワインのペアリングの経験を深める。帰国後クッキングスクールの講師、国内外のレストラン企画、メニュー開発等に携わる。2008年より、米国大使館農産物貿易事務所選任シェフ、2013年より、ナパヴァレー・ヴィントナーズの駐日代表も勤める。
http://www.ema-koeda.net/
シー・ユー・チェン
Sy Chen
株式会社シーアイエー 代表取締役会長
1947年北京生まれ。30年の成功のトラック・レコードがあるブランドコンサルティング会社CIA Inc.のファウンダー兼CEO。“Japan Branding”を提唱し、ユニクロ、青山フラワーマーケット、東京三菱UFJ銀行PBO、出光、大崎Think Park、Peach、サウスウッド、Oisix Crazy for Veggy等の新業態ブランドの原型を構築し成功に導く。Innovation Prototypingを実践し、プロジェクトフローとリアルな検証プロセスを通じてリスクを軽減させ、成功率を高めている。
http://www.cia.tokyo