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愛される店

TIA SUSANA信濃町

Text : Masami Watanabe
Photo : Kumiko Suzuki

TIA SUSANA信濃町
江頭満さん

TIA SUSANA。1971年〜1985年まで東銀座で営業していたペルー料理店の老舗が22年のブランクを経て、2007年2月に復活しました。伝説のスサナおばさんが経営していた温かく、ミラクルもいっぱいのお店。現在のマスター江頭さんにお店の長い変遷と、その間のいろいろなエピソードを伺います!

コレカラージュ(以下、コレ):江頭さんは初代のお店のオーナーで、名物ママだったスサナさんの息子さんなんですよね?

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江頭さん(以下、敬称略):そうです。母の一家はペルー暮らしが長くて、母もペルー生まれの日系2世でした。祖父と祖母は日本人ですが、ペルーに渡って商売をしていました。人は生まれてから十何歳まで居た場所でものの考え方や食べ物の好みが決まるというでしょう。だから、母は完全に中身はペルーの人でした。いわゆる朗らかで、陽気なタイプね。

コレ:お母様は、いつから日本に?1971年当時に銀座でペルー料理はかなり珍しかったのではないですか?

江頭:珍しかったですよ。いろいろな意味で希少なお店だったと思います。母は、12歳で高等教育は日本で受けようと家族とともに日本に戻って来たのですが、ちょうど戦争が始まってしまい、ペルーには戻れず、それからずっと日本で暮らしていました。スペイン語を活かして、見本市のコンパニオンや通訳といった仕事を通じて、日本にくる中南米の留学生との交流が始まったんです。当時、米ドルが1ドル=360円だったので、中南米の富裕層の日系の子供たちは大学は日本に来ることが多かった。そこで、母はその留学生たちの面倒を見始めるんだけれど、それが高じて僕が大学を卒業する年に自分の店を始めたわけ。それも、東銀座にね。

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コレ:なるほど、そういうきっかけだったのですね!東銀座にオープンしたのは確かにすごいですね。案外高級店だったのでしょうか?(笑)

江頭:とんでもない!(笑)
ビジネスの根本が何もわからずにスタートしていますからね。水商売は、客単価x席数x回転率っていうでしょう。学生相手ですからお金を持っていない=客単価が低い。南米人だからビール1本で3時間粘るなんて当たり前。だから回転しない。そういうお客さんを家賃の高い銀座で相手にしていたわけですから、儲かるはずがない(笑)。

コレ:それでも14年間も営業されていたんですからご立派ですよね。

江頭:お店を閉める時に、母が「普通は銀座でママさんと呼ばれて14年も続けていたら、毛皮のコートと外車くらい持っているのが当たり前なのに、私ったら何にもないわね」ってケラケラ、大笑いしていた。そんな明るい母でしたから、学生たち(店のお客さん)には大人気でしたよ。ペルーだけじゃなくて、メキシコ、アルゼンチン、ブラジルなど、色々な国の留学生が沢山通っていました。大学で4年間を日本で過ごしていますから、どうしたってホームシックになるでしょう。それで、母のペルー料理を食べにくる。スサナおばさんのお陰でホームシックにならずに済んだって、卒業して国に帰国した常連さんからお礼状が届いたり、卒業してからも遊びにきてくれたり、母はみんなに愛されるひまわりのような人でした。

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サッカーファンにはたまらない写真、サイン、グッズが店内のあちらこちらに。

コレ:素敵ですね。お金儲けではなくて、学生を癒し、支えるお店。あったかい。私たちもスサナさんに会いたかったです。そんなスサナさんですから、中南米でも日本でも実はかなりのレジェンドだったとか?

江頭:僕は昔、店の手伝いをしていた時期があってね。中南米の学生たちはサッカー好きが多いから、ペルー料理を食べてお腹いっぱいになるとみんな“サッカーがしたい”と言うわけ(笑)。それで、店のお金でユニフォームを作って、チーム名を“TIA SUSANA”とお店の名前にしました。母はサッカーのことなんて何も知らなかったけれど、当時はJリーグができるずっと前だからサッカーチームを持っているレストランが珍しくて、徐々にサッカー好きや社会人のサッカー部の面々が集まりだしたのね。それが口コミで、だんだんと話題になって、東京に止まらず、帰国した留学生たちを通じて中南米にまで広がって、トヨタカップやキリンカップ、大きな大会が東京であると、世界的な選手までもが訪れるようになった。

コレ:わ、すごい!どんな選手が訪れているんですか?

江頭:後にブラジルの代表監督になるドゥンガさん。あと、ブラジル代表のジュニオールさん、アルゼンチン代表のパレルモさん、そしてブルチャガさん。この3人は店に来た後に、ワールドカップで得点をしています。「TIA SUSANAに来たサッカー選手は、その後に代表選手になり、ワールドカップで得点するというジンクスがある!」と僕は主張しているのですが・・・(笑)。

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コレ:壁にはマラドーナやペレのサインもありますね。他にもいっぱいの写真とグッズが飾られていますが、こういうものは江頭さんが集められたのですか?

江頭:全部、お客さんからもらったものです。数年前、ワールドカップでなでしこジャパンが優勝した時の金の紙吹雪だってありますよ(笑)。国旗は、キリンカップのあとに応援団が持ち込んだもので、選手のサインも入っているのが見えるでしょう?サインや写真はもうご覧の通り、いっぱい。海外の選手のものが多いけれど、面白いところでは若い頃の明石家さんまさんや木梨憲武さん、女優の長澤まさみさんのお父さまの写真もありますよ。それとね、珍しかったのは、その頃はまだ日本では世界のサッカーチームの試合をテレビ放映していない時代だったのに、ここには本場の中南米の試合のビデオがいろいろあったことかな。母に世話になった留学生たちが国に帰ると録画して送ってくれていたんです。だから、ここに来ると本格的な海外のサッカー試合がスペイン語やポルトガル語の解説で観られるとサッカー好きの間では評判になり、そのことがどんどん広まっていきましたね。

コレ:ビデオリストが2冊もありますね。それも「マル秘」となっていたりしますが、海外の試合中心のリストともう一冊のリストは何ですか?

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江頭:あ、それはね、僕らのチームの試合のビデオ。冗談で“マル秘”としています(笑)。わりと早い段階から、自分たちの試合も動画に収め始めたんです。そんなことしている人もあまり当時はいなかったから、TIA SUSANAでは海外の試合も国内のアマチュアの試合もなんでも観られるっていうのが口コミで広がって、ただのサッカー好きから、アマチュアやプロを問わず、日本代表の選手まで、多くのサッカー関係者が集まるようになっていった。母が店を始めた当初は、南米の音楽と踊りがどちらかというとウリだったんだけれど、それがすっかりサッカー色が強くなってしまった(笑)。

コレ:すごいですね、ビデオリスト!(笑)

江頭:でしょう(笑)。アマチュアのほうも結構すごいんですよ。レアな試合のビデオだから、僕らと対戦した相手チームのメンバーもみんな観たいと言って、お店に遊びに来てくれるの。日本にはお洒落な“スポーツバー風”のお店はたくさんあるけれど、ホンモノのスポーツファンが集まるスポーツバーはまだまだ少ないと思います。だからうちは、素朴だけど真のサッカー好きが集まる空間を提供し続けたいなと思っています。

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コレ:そもそも、スサナさん(お母様)が経営されていたお店を1回クローズして、新たにこの場所で再開したきっかけはなんだったのですか?そして東銀座から、なぜ信濃町に?
江頭:母が店を閉める時、僕は漠然とだけれど自分が定年退職したら、店を再開したいとは思っていたんです。僕は銀座の店を閉めてから、ずっと真面目なサラリーマン生活を送っていました。途中で2回の転職を経験したものの、最後の会社には17年勤務しました。あと2年で定年という、58歳のときに運命の悪戯かなんだかこの物件に出会ってしまってね。東銀座の店がなくなってからも、サッカーチームだけはずっと活動を続けていたので、昔を知る人たちからは「あの店はほんとうによかった。またいつか復活してね」とずっと言われ続けていました。それで、定年したら・・・と考えていた僕は、50歳を過ぎた頃から飲食店をするための勉強をしたり、気になる場所をみつけては物件を探してみたり、なんていうことを徐々に始めていたのね。それで、58歳のとき、信濃町で「えっ!?」と思う安い物件を見つけて、勉強のためにも不動産屋さんに入って聞いてみたんです。ちゃんとね、「借りるのは少し先の話なので、勉強としてみせて頂きたい。すぐにお客になれなくて申し訳ないのですが、物件の図面を頂けないか」と。

コレ:それで、それで?その物件がここ!?

江頭:そう。その不動産屋さんがとても親切で、借りなくていいから見るだけ見ていけばいいと案内してくれてね。見たら、僕の理想の店だった。広くて、安くて、3つの駅から近くて。ここで店ができたらいいな、やりたいなと思ったけれど、その日はもちろん図面のコピーを頂いて帰りました。でもね、考えれば考える程、そこでやりたい気持ちが強くなっちゃって。だって、それまでに見た物件はどこも家賃が高くて狭かった。ほぼ9割方、復活は諦めるしかないのかと思い始めていたくらい。だからね、信濃町のこの物件が2年後、自分が60歳のときに借りられなかったら一生悔やむ気がした。それで、予定より2年も早まったんだけれど、店を復活させる大決心をしたわけ。

コレ:江頭さんのお店への思いがすごく感じられますね。でも、今は2年とさらっと仰られるけれど、計画を2年早めるって結構すごいことですよね?しかも、定年を待たずに退社されたんですよね?

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日刊ゲンダイに掲載された記事を見て、東銀座時代のお客様たちもお店の復活を知って、来店してくれるようになりました。

江頭:そう、退職金は8割しかもらえないことになったし、急に決断したわけですから、家族にも猛反対されました。その猛反対を押し切って、退職金の減額も受け入れて、覚悟を決めた。だって、後悔するほうがもっと嫌だったからね。

コレ:そうまでして復活させたお店ですが、やっぱり復活してよかったなと思うのはどんな時ですか?

江頭:復活してよかったと思うのは、やっぱり常連さんとの関わりかな。一人で通ってくれていたのに、あるとき彼女を連れて来て。そしたら、結婚しますって。そして子供ができて、また孫ができて・・・。その人の人生をいろいろな場面を見られるのは嬉しいことです。一番古い人だと、母の時代からだから今年56歳なんていう人もいますよ。あとね、ふと懐かしくなってインターネットで調べて、復活を知ったお客さんが遊びに来てくれたりね。そういうのもすごく嬉しい。

コレ:素敵な絆ですね。来店してびっくりした、とか、会いたかったという人はいましたか?

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江頭:それは、奥寺さん。興奮しましたよ。日本のサッカー界ではすごい人だもの。店を復活させた後に彼が来店したとき、さりげなく彼が活躍したドイツでの試合をテレビでかけていたら「え!僕、この試合を観るのは初めて!」とすごく喜ばれて。で、その奥寺さんが「これ、ダビングしてほしい」と言うから、コピーして差し上げました。ちょっと嬉しくもあり、緊張しました(笑)。

コレ:わ、奥寺さんもビデオをご覧になったんですね(笑)。

江頭:長くやっていますから、いろんな出来事や思い出はあります。あと印象的といえば、昔、一緒にサッカーをしていた留学生との再会、そして東京水産大学の元学長との出会い。東京水産大学に通っていた僕の娘が成人式を迎える時に、着物の代わりにペルーに行ってみたいと言い出して、母を連れて行ったんです。首都のリマには、ペルーの水産大学があって、娘が見てみたいというもので大学の中に入って歩いていたら、一人の男性に声をかけられた。「あなたはもしかして東京のティア・スサナではありませんか?」と母に向かった話しかけてきたその男性は、昔、東京水産大学に留学していて、その当時にTIA SUSANAのサッカー部でプレーをしていたというのです。なんという偶然でしょう。その彼は、ペルーの水産大学の教授になっていました。彼にとって,母は日本のお母さんであり、恩人。その孫娘が自分の後輩だと知ると、校内を親切に案内してくれて、最後にお土産までいただきました。それがこのペルー水産大学のポスターね。すごいでしょう(笑)。

コレ:すごい!引き寄せますね(笑)。それで、東京水産大学の学長さんとの出会いは?

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江頭:たまたまふらっとね、ある時、学術会議で東京に来られた帰りに来店されたんですよ。それで、店内に置いてある「雪の結晶」という本をじーっと見ておられた。僕が「雪の結晶がお好きなんですか?」と訪ねたら、「冷凍の研究をしています」って答える。そこから色々と話し込んでみたら、東京水産大学の学長さんだった!だから、娘の話、母の話、リマでのエピソードなんかを話したら、とても喜んでくださったのね。それからは、毎年学会のある時は帰りに寄ってくださるの。奥様を連れてみえたこともある。いい出会いです。そういったいろんな結びつきや、ご縁で、人の輪が広がっていくところが飲食店をやっている醍醐味ですね。この商売、大変なことも多いけれど、そういう人とのエピソードがすべてプラスに着地させてくれている気がします。

コレ:では、やっぱり2年計画を早めてお店を復活させてよかった?

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江頭:はい。やっぱり僕にはそれしかなかったと思うし、本当に素敵なお客様に支えられているからね。おそらくもう一回人生をやり直しても、同じ道を選んで歩いていると思うし、今やっていることは天職だと思っています。

コレ:そう言い切れることはよい人生なんですね、きっと。ここに集まる常連さんの特徴って何かありますか?もちろん、陽気でハートフルなサッカー好きということは想像できるんですけれどね(笑)

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江頭:やっぱりこの店には僕と波長の合う人が最終的には多いのかな。熱くて、情熱的で、真面目な人が多い。案外、皆さん、堅い話をしますよ。どんなに盛り上がって、酔っぱらっても下ネタとか下品な話が出ない。それは店主としても誇りですね。

コレ:スサナさんもきっと喜んでいらっしゃるでしょうね。

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江頭:母は一昨年の10月に85歳で他界しました。僕の店になったとはいえ、母の思いなどは受け継いで、いつまでも変わらないスタンスで元気な限り続けていきたいとは思っていますよ。

コレ:江頭さん、やっぱり67歳には見えません!エネルギーあるし、お若いですよね。きっとお店はまだまだ未来があるのだと思います。元気の秘訣を最後に教えてください。

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雑誌SPAの人気連載「孤独のグルメ」でも紹介されました。この記事は、新しいお客様のご来店のきっかけになっています。

江頭:僕ね、60歳まで現役でシニアのサッカーの試合に出ていたんですよ。30分ハーフだけど、まだカンカン照りの下でも60分は走れる(笑)。体力的にもまだ大丈夫だとは思っていますが、やっぱりお客さんとの繋がりと触れ合いが心の大きな支えです。あとはね、ペルー料理って豆をいっぱい使うから、案外ヘルシーだし、栄養価も高いの。健康/美容食でもある。サッカー好きもそうでない人も、ぜひペルーの味を試しにいらしてほしいですね。

ティア・スサナ
TIA SUSANA
東京都新宿区信濃町8−11 坂田ビルB1F
Tel: 03−3226−8511