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OTONA LOUNGE

矢島 沙夜子(KLOKAアートディレクター/デザイナー)加藤 大直&千村 宗幹(Genkei代表)

Text : Masami Watanabe
Photo : Kumiko Suzuki

July 27th 2015

かっこ良くてチャーミングな大人たちの現在、過去、未来…、その生き様や考え方を垣間見ることができ、Qorretcolorageウェブの読者の皆様にもっと楽しい「今」、さらにポジティブな「明日」を感じて頂く対談企画です。

毎月のゲストが翌月にはお友達を招き、ホストになるリレー形式で展開していきます。
今回は、前回のゲスト、KLOKAアートディレクター/デザイナーの矢島沙夜子さんがGenkei代表の加藤大直さんと千村宗幹さんのお二人をお招きしてお届けします。

加藤大直さんと千村宗幹さんは、幅広い領域で活躍する3Dプリンターの設計/開発を行なう会社、Genkeiの創設者。世界で大注目だった3Dプリンターを日本人で初めて自ら設計し、実際に製作してしまった2人は、メディアでも話題の人物です。3Dプリンターのフィールドで、常に“面白いコト”を探求しながらモノ作りの可能性に挑戦をし続ける彼らの「出会い」、そして「今」と「これから」の様々なお話を伺いました。

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矢島沙夜子さん(以下、矢島): お二人とは年齢も近いし、やっていることも本当に興味深いので、私は知り合ってからずっと注目していました。もう3年くらい前でしたね、初めてお会いしたのは。“面白くて、ヤバい奴らがいるから紹介したい”とKLOKA代表の高橋から言われて。

加藤大直さん(以下、加藤):そう、3年前くらいでしたね。そもそも、KLOKAの高橋さんと共通の知人を介して知り合って、その後に矢島さんを紹介されたんでしたね。

千村宗幹さん(以下、千村):あれは僕らがGenkeiを登記した直後だったから、3年前ですね。そう考えると、3年ってあっという間だね。

矢島:もう3年も経つんですね。でも、当時は3Dプリンターと言えば海外のかなり大掛かりなものしか存在しなかったから、それを日本人の若者2人がマンションの一室でゼロからつくっていると知って、確かに“ヤバい”と思いました(笑)。3Dプリンターを使って何かをつくるのではなく、3Dプリンター自体をつくるということがどういうことなんだろうと思いましたね。

千村:知り合って間もない頃に、KLOKAさんと僕らの3Dプリンターでジオラマをつくりましたよね?

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矢島:そうそう。その頃にちょうどKLOKAに舞い込んだインスタレーションの話に、面白いから3Dプリンターも組み込んでみようということになって、巨大なジオラマをつくりました。幅15mの巨大なジオラマで、その真ん中にマリーアントワネットを置いて、マリーが街をつくりだす・・・という設定。だから、マリーのお腹のあたりに3Dプリンターを設置して、そこから街が出てくるようなインスタレーション。企画書上では、マリーのお腹の部分はまだ空白になっていて、未知数のゾーンだったんですけど、最終的には面白い作品になったかなと思っています(笑)。

加藤:実は、あの時にKLOKAさんに出した3Dプリンターが僕たちの最初のセールスだったんですよ。あの直後にもう1台だけ同じ機種をつくって、それが今ここに置いてあるんだけれども、それ以降につくったものは型違いになっています。

矢島:そもそも、一般的な3Dプリンターはこういう感じではないでしょう。もっと箱型で、四方が塞がっていて、コンピューターみたい。でも、Genkeiさんのものはちょっと違っていて、スケルトン。しかも組立や製作をすべてお二人でやっているから、使い方も丁寧に教えてくれるし、素晴らしいですよね。最近ではテレビ等でご活躍を目にしていましたけど、連絡はプリンターの不具合とか使い方に関してのような業務連絡状態になってしまっていたので今日はゆっくりお話ができて嬉しいです。何か面白いことを一緒にやれたらいいなとずっと思っていたんですよ。

加藤: 矢島さんとお会いするのは久しぶりですね。だから僕たちも嬉しいです。ぜひKLOKAさんとは何かやりたいですね。だって、KLOKAさんの活躍もすごいじゃないですか!

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矢島:今日はよい機会なので、加藤さんと千村さんの出会いとか、どうして3Dプリンターなのか等、いろいろなお話を伺ってみたいです。

千村:出会いですか。10年くらい遡りますよ(笑)。

矢島:お二人の経歴もちょっと面白いですよね?(笑)

加藤:ふたりとも面白いかもね(笑)。

千村:元々のふたりの出会いは、美術系大学進学の予備校として有名な新美(新宿美術学院)です。ふたりとも芸大(東京藝術大学)のデザイン科を目指していました。プロダクトデザインの道を目指していた僕の前に、浪人生だった加藤がある日ひょっこり現れたんです(笑)。仲良くなって、放課後とかに一緒によく遊ぶようになって、ロストワックスというジュエリーの作り方を教えてもらったり。

加藤:母がジュエリーを作っていたので、何となく僕もできたんですね。それで、千村にも教えて、一緒に作ったりしていました。

千村:そしたら、加藤は急に予備校からいなくなったんです。現れた時もひょっこりでしたけど、いなくなるのも急でした(笑)。で、どこに行ってしまったんだっけ?

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加藤:石川県の金沢に実は知る人ぞ知る美術学校があって、そこに行ったんです。Kanazawa International Design Institute、通称KIDIという金沢なのに日本人がいない不思議な学校。先生もフランス人が多いの。僕はそこに通い始めたんです。

矢島:どうしてそこに行くことになったんですか?

加藤:芸大の受験に落ちた数日後に、両親から金沢に面白い学校があるから一度見て来たらと勧められて、興味を持ったんです。ちょうど予備校の次の学期までに時間があり、その期間に説明会と入学テストがあったので、挑戦して、受かったのでそのまま通い始めたんです。

矢島: そうなんですね。それで、千村さんはその頃はどうしていたんですか?

千村:僕は予備校に居続けて、三浪しました(笑)。ちょうど三浪目の頃に付き合っていた彼女がジュエリーをつくっていて、本格的にジュエリーデザインに興味を持ち始めたんですね。彼女にも勧められて、その方面に進んでみようかと色々と調べてみたら、ヒコ・みづのジュエリーカレッジという学校を見つけ、そこに入学。卒業後はそこで講師も勤めました。それで、ちょうどヒコ・みづのの卒業製作展をやっている時に、アメリカから帰国した加藤が再びひょっこり現れたんです

矢島:あら、加藤さんは金沢でしたよね?どうしてアメリカに行ったの?

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加藤:KIDIは専修学校だったので、2年修了するとアメリカの大学に編入できる制度があったんです。当時の僕は「パーソンズ美術大学」という名前はよく知らなかったんですけど、頑張れば奨学金がもらえると言われてニューヨークのパーソンズに行きました。

千村:加藤が金沢に行ってしまってから5年くらい音信不通だったのに、僕が青山のスパイラルで卒業展を開催しているときに突然現れた。僕がジュエリーの道に進んだことも知らないはずなんですよ。なのに、どこからか聞きつけてひょっこり登場したのね。それで、その再会からまた頻繁に会うようになりました。

矢島:どのくらいの時期から3Dプリンターが出てくるの?(笑)

加藤:再会した当時、千村はジュエリーをつくりながら、夜はバーをやって、そこでジュエリーを売っていたのね。バーカウンターがショーケースになっているの。で、そんな千村に3Dプリンターの話をしてみた。ちょうど僕が作り始めた頃で、テレビに出たりし始めたくらいの時で。

千村:僕もフェイスブックやメディアで3Dプリンターを目にし始めた時期で、すごく興味を持っていたんです。元々、ジュエリーの世界でもCAD(Computer Aided Design/通称“キャド”)などで、立体をコンピューターで出す技術はあったんだけれど、最初のうちはやっぱりどこか直線的で固くてね。それがだんだんと進化版が出て来て、手作り感が出せるものまで登場し始めていたから、何でも作れそうな3Dプリンターにはとても興味があった。

矢島: へぇ。でも最初は完全なジュエリーの視点からの興味だったんですね?

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千村: そうです。完全にジュエリー製作に活用したくてね。そしたら、僕にロストワックスを教えてくれた奴がそれをつくっていた!(笑)

加藤:僕はパーソンズを出た後、ニューヨークでしばらくプロダクトデザインの仕事に携わっていたので、3Dプリンターがすごく欲しかったんですよ。でも、当時は1台4000万円くらいしたから、高すぎて買えない。だったら自分でつくってしまおうって(笑)。

矢島:そうそう、かなり高額品でしたよね。1年経って桁が下がりましたけど、それでも3桁はしましたよね。

千村:加藤はほぼ独学でそれをつくっちゃった。元々、加藤家は欲しいものは、自分たちでつくるスタンスの家系だから、結構なんでも作るんですよ(笑)。

加藤:僕が3Dプリンターをつくりたかったのは、機械そのものがつくりたかったのではなく、「自分自身が3Dプリンターを欲しかった」「3Dプリンターを使って、その先の何かをつくりたかった」、ただそれだけ。決して3Dプリンターをつくりたいという発想ではないんですよね。千村も元々、3Dプリンターを使って何かをつくりたいという考え。KLOKAさんもそうでしょ?
僕は、アメリカでプロダクトデザイン学科に行ったから、モノの姿形を美しく、カッコ良くする“スタイリングデザイン”というよりは“サステイナブルデザイン”のような機能性を考えるほうのタイプ。ある日、イギリスに自分で組み立てるDIYタイプの5万円くらいの3Dプリンターが発売になったんです。それで、3Dプリンターって自分でつくれるんだ!と。すぐにそれを買ってみて、つくってみた。一回つくったら、一回壊してみる。それをやってみて、自分でつくれると確信したんです。

千村:加藤は簡単に言うけれど、やっぱり相当な情報量を取り込まないとできるものではないから、彼の独学は凄いですよ。そこは尊敬します。

矢島:次々にチャレンジするモチベーションはどこから?どうして、そんなにいろいろ思いついて、できちゃうんですか?

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加藤:3Dプリンターに関して言えば、きっかけは変な話なんです。パーソンズってマンハッタンのど真ん中にあるから、卒業するとすぐに追い出される。つまり自分の作品も気がついたら、捨てられている。容赦ない(笑)。でね、自分のポートフォリオを作っているときに、基本はCGで作るんだけれど、全部がCGでは嫌で、少しは生きた作品も含めたいと考えたとき、あるプロトタイプを思いついたの。それは、自分自身が作品をつくっているところを再現できたらいいじゃん!というもの。つまりね、それをするには3Dプリンターがあったらできるという発想から、3Dプリンターが猛烈に欲しくなったわけです(笑)。

矢島:なるほど。すごい発想(笑)。それで、加藤さん、千村さんの、このふたりで3Dプリンターの会社を立ち上げた経緯は?

千村: 加藤がフェイスブックでニューヨークの話や、3Dプリンターの話なんかをアップしていて、それを見た僕がジュエリー作りたさに「これこれ、云々、こういうのはつくれる?」と聞いた。そしたら「できるよ」って。それで、僕が1台オーダーしたのがきっかけで、“なんかこれってビジネスになるんじゃない?”と、なって。そこから1週間くらいで会社にする話になりました。でもね、僕らは一般常識もさながら、会社登記の知識なんて全くなかったから、とりあえず何でもインターネットで調べてみた。そしたら、住んでいた部屋のベランダから港区の法務局の出張所が見えて(笑)。そんな風に会社を始めたから、普通のマンションの一室からスタート。それが3年前。

矢島: まさしく、私が初めてお会いした頃ですね。

千村:幸い僕たちはアート畑にいて、モノづくりはずっとしていたから、工具とか道具はいっぱい持っていたんですね。フライス盤なんて、10万円くらいしますからね。だから、道具を揃える必要がほとんどなかったので初期費用はかなり抑えられたんじゃないかな。受注生産すれば、なんとか回せるな、と思って会社発足に突き進んだ(笑)。

矢島:千村さんは、3Dプリンターをジュエリー方面に販売するとか、製作の一部を受けるようなビジネスを考えていたのですか?

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加藤:千村も僕も3Dプリンターを使って何かをつくって、それを販売しようと考えていました。なんだったら、ふたりでつくった3Dプリンター本体もたまには売れたらいいよね…くらいのつもりでしたね、最初は。でも、蓋を開けてみたら3Dプリンターの受注ばかりになっていました(笑)。

千村:本当にすごかった!ひぇ〜って言う感じ(笑)。

加藤: 会社を登記する前からテレビやメディアに出たりしていたので、はじめの頃はその反響がすごかったんです。3Dプリンターを製作して、その使い方を指導するスタイルがテレビ東京のワールドビジネスサテライトでも取り上げていただいたこともあって、その反響がまた物凄かった!完全なる日本製というのも珍しかったんでしょう。問い合わせメールと電話が半端なかったですね。本当にありがたいことです。

千村:僕は機械系の情報にそんなに強くなかったから、日本製が珍しかったことも知らなかったし、とにかくこんなに需要があったんだということに驚きました。

矢島:需要はありましたよ!私たちも3Dプリンターを使ってモノづくりをしたいとずっと思っていましたもん!ある意味で未知の分野だったし、面白いことになるかもしれないという期待値も高かったですからね。だから3Dプリンターの話題やニュースはちゃんと追っていないとヤバいと思っていました。ずっと欲しかったけど、数千万だし…と、同じように思っていた人は絶対にたくさんいたはず。だから日本人2人組が作れる、しかも金額はゼロがひとつふたつ違う・・・ということが話題になったら、一気にガッといくでしょう。で、実際にそうなったんでしょうね。

加藤:確かに、一気にいきましたね。僕たちはずっとアート畑だったから、値段のつけ方もあの頃はよくわからなかった。今考えると、どうだったんだろう?って思いますよ。もっと高くつけておいてもよかったんじゃないかってね(笑)。

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矢島:きっと若さと勢いがある創成期にだからこそ、 面白いことが生まれたんでしょうね。

千村:ふたりとも面白いことが大好きだから、なんでも面白ければいいじゃんっていうところはあったかもしれないですね。

矢島:アートとはいえ、工学ですよね。私にとっては、工学系の話は未知ですけれど、“つくる”という工程はアナログで、アートに通じているような気がして、なんとなくふたりの話は理解ができるし、共鳴してしまいます。KLOKAの代表の高橋も、専門ではないけれど結構電気系のこともわかっているし、できちゃってるんですよね。

加藤:なんだかそれ、わかります。だって、3Dプリンターを納品した時も実は僕たち、KLOKAさんにはあまりサポートをしていない。後からもっと電話かかってくるかなと思ったけど、それもないから、案外わかっているんだなこの人はって思いましたよ。

矢島:根っからモノづくりが好きな人間って、アートも工学も両方わかるんでしょうね。しかし、Genkeiさんは短期間にこんなにまですごいことになってしまうとは!創成期のお二人に出会えたことがとてもラッキーだったと思いますし、光栄です。私にとっては、面白くて素敵な流れだったと思っています。

加藤:3年経って、今は実際に卓上型の3Dプリンターを国内で生産しているのはうちともう1社九州にあるんです。大手も参入してきているし、これからまだまだ広がっていく領域だと思いますね。

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矢島:Genkeiさんの最近の活動はどうなんでしょう?

千村:この間、4メートルの3Dプリンターをつくりましたよ。中途半端はよくないから、すごく大きいのをつくろうって(笑)。

加藤:4メートルのプリンターをつくったきっかけは、芸大に進んで、現在はデザイン事務所と電通クリエイティブの両方に籍を置く異彩/スーパークリエイターの友人がいまして、彼のプロジェクトのため。東京藝術大学のマテリアライジング展というイベントがあって、そこでの展示物を制作するためだったんです。彼と一緒に飲んでいた時に、3Dプリンターで面白いものを作ろうぜ、となって、僕がなんとなく「大きいの作っちゃおうか」と言ってしまった(笑)。なんかね、4メートルはつくれるっていう変な自信だけはあったんですよね。

矢島:4メートルの3Dプリンターはどのくらいのサイズのものがつくれるのでしょうか?

加藤:2メートルくらいかな。

矢島:で、マテリアライジング展では何をつくったんですか?

加藤:壷です(笑)。その芸大出身の彼は、ビッグデータにも精通していて、現在は日本のビッグデータをビジュアライズ化するという国家プロジェクトにも取り組んでいます。彼はアートの人だから、これまではビックデータの可視化をデジタルスクリーンでやっていました。これは僕がTED*で話した内容だけど、僕は以前からデータと人間の五感(六感)を融合させたらどういうことになるんだろうと考えていて、ビッグデータを触れたら面白いし、すごいだろうなと思った。日本の気象庁はね、朝から晩まで毎日膨大なデータを収集しています。これは知られていないだけで、誰でも見ることができるデータ。彼がこのデータを機械に打ち込むと、気圧、気温、風力、風向など様々な要素全部を反映させた1日のグラフが円筒形で表示されるの。これがすごく面白い。
(*Technology Entertainment Designが主催するカンファレンス。通称TED。)

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矢島:なるほど、だから可視化だ!

加藤:そう、デジタルでは2Dで見える。そこで僕はね、これを3Dプリンターでプリントしちゃえば触れるじゃん、って(笑)。これをね、4メートルのプリンターで、2メートルのものを作ってみた。“Big Data Materialization”ということで、かなり話題になりました。

矢島:可視化は面白い!3Dプリンターは、何に使えるのかということも話題だったし、世に出てきた当初からいろいろな用途の可能性を分かっている人もいたけれど、その反面、ユーザーが実際に作っていたものの多くはフィギュアなど個人的な観賞用のものでしたよね。逆に、医療の現場でも使われていると聞きます。すごく両極端で、その中間的な活用法はどうなんだろうと模索していると思うんですけれど、最近では3Dプリンターはどのような使い方をされているんでしょうか?

加藤:海外での使われ方と日本での使われ方は水と油という程に違います。海外では食器や家具のような日常使うモノをつくる傾向が見られるのに対して、日本ではフィギュアなどの趣向品が主流。僕たちとしては、もっと日常で使うものをつくってほしいと思っているんですよね。だって、そういうものをつくり始めると様々な用途に合わせてサイズを変えたり、色を変えたり、いろいろと試してみたくなるでしょう。そうなると一般の人たちがもっとデザインしたいと思ったり、参加する方向にベクトルが伸びていく。要するに3Dプリンターを活用する人が増えて、広がっていく。一方、フィギュアは相当なレベルでないとデザインすることができないし、他の人に伝染していかない。今では、欧米をはじめ、中国や中東でも日常使いのものを3Dプリンターでつくる発想が定着しはじめていて、需要が伸びています。日本ももっとそういう傾向になってほしいと思いますね。

矢島:勿体ないですね。3Dプリンターはいろんなものを3Dでつくれる機械なのに。

加藤:日本はメディアによる影響もすごくて、一回“フィギュアをつくるもの”ということがインプットされてしまうと、その先入観が邪魔してそこからなかなか他の発想にいかなくなっちゃう。前に、3Dプリンターで銃をつくったことがあって、それがメディアで紹介されたんですね。そしたら、その後の問い合わせで「3Dプリンターは銃をつくる機械ですよね?」と聞かれる。そんなわけないじゃないですか!日本人もそろそろ発想を変えていかないと、3Dプリンターにおいても世界から取り残されてしまう懸念はありますね。

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千村:今では、3Dプリンターから約20種類くらいの素材が出せるんです。異素材の組み合わせだってできる。素材の半分が水で溶けてしまうようなことをするのも可能だし、電気を通すこともできる。木製やゴムや柔かい素材だってできちゃう。だから勿体ないですね、発想が広がっていかないのは。もっと僕らも、何をつくることができるのか、そんな可能性みたいなことも伝えていかなければと思っています。

矢島:えー、そんなことができるんですね。すごい!そう考えるとどんなものでも作れそうな気がしますね。楽しい。

加藤:KLOKAさんにある機械でもできるんですよ。チョコレートを出すとかね(笑)。

矢島:そうなんですね!漠然と世の中にあるものしか作って来なかったなと、私も反省しています…。今、聞いた話だけでも相当いろんなことができますよね?これからの1年で、その世界はまたかなり変わるんでしょうね。でも、想像力って結構狭くなってしまうものかもしれませんね。ところで、現在は一般の方が3Dプリンターで何かをつくりたいと思ったら、機械を購入しないとできないのでしょうか?どこかでやってもらえたりするの?

加藤:3Dプリント代行業みたいなところがたくさんあって、外注できますよ。素材もある程度選べます。ただね、やっぱりまだ割高ですね。あまり知られていないんですけど、一時期、KINKO’Sやヤマト急便に設置したことがあります。でも、どうしても専門の人員を配置しなくてはならないし、ランニングコストがかかりすぎるということで続かなかった。今は、DMMが新たにその業界に乗り出しましたね。

矢島:そうですか。やっぱり、まだ「あ〜、これはやられた!」という作品が出て来ていないのはちょっと残念ですね。そういう私も“これだ!”というデザインやモノがなかなか思いつかないんですけどね。でも、これだけ技術があって、可能性があるから、何か飛び抜けたことができるはずですよね。

千村:例えばね、3Dプリンターで出したものに最後に蓋をすることもできるんです。ということは、つまり、空洞の器に見立てて、何かを入れて蓋をすることだって可能ということ。

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加藤:鳥かごをつくった人がいましたけど、あれは面白かったですね。これからは僕たちからも、そういう情報の提供や使い方が広がるような提案もしていきたくて、実は最近、ウェブサイトをリニューアルしました。

千村:異素材の組み合わせだとか、様々なマテリアルの提案もしていきたいですね。だって、弦をつけたらバイオリンだって作れるんですよ。きっと穴を開けて、笛とかもね。

矢島:わぁ、本当にそうですね!いっぱい可能性がある!新しい乗り物とかもできそうですよね。

加藤:そう。置物しかつくれないと思われているのがとても残念。3Dプリンターって“プリンター”じゃないんですよ。その意識をガラッと変えてほしいですね。普通のプリンター、つまり2Dプリンターは「記録」と「保存」というふたつの機能を持ち合わせています。そして半径2メートル以内の人たちに向けて情報発信をする。だって、プリントしたものに紙や布が被さったら見えなくなってしまうしょう?(=情報が見えなくなる)
これと比較して3Dプリンターは、情報の発信はしていなくて、「機能」を発信しているものなんですね。この概念がちゃんと理解できていると、その使い道も違ってくるんじゃないかな。

矢島:なるほど、そう言われるとわかりやすいですね。では、これからお二人はどういう方向に向かって行きたいと考えていますか?

加藤:僕田たちは元々、つくりたいものがあったから3Dプリンターを作りました。だから、あまり3Dプリンターだけの方向に行こうとは考えていないですね。3Dプリンターは見て、触ることができる。これが最大の魅力だと思うんです。だから、将来的にはこれに“食”を絡ませて、見て、触って、味覚が感じられるようになるとか、「見て触る」以外のもうひとつ何かの要素を絡めてみたいと考えています。ビッグデータもあるから、膨大なデータを取り込むことでA.I.(Artificial Intelligence)になるかもしれない(笑)。

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矢島:面白そう!何かを知覚したい、そういうことで何か違う分野(ステージ)に行く…ということですね?

加藤:人がやっていない面白いことをやりたいし、いつもチャレンジしていたいですね。

千村:僕も基本的に目指す方向性は加藤と同じですけど、わりとひとつのことにコツコツと打ち込めるタイプなので、自分がつくり出した“モノ”が多くの人の生活の一部になったら嬉しいです。自分のつくったモノがみんなの役に立っている、そのモノを通じて人が繋がっていく…みたいなことが嬉しい。そういう意味では、一点ものには興味がなくて、量産できるものをつくっていきたい。みんなが生活の中で頻繁に使うもの、必要なものをつくりたいですね。その基礎にあるものが、3Dプリンターなのかなと今は思っています。

加藤:僕はやっぱり人生を変えるような、まだ誰もやったことがないことを成し遂げたい(笑)。そういう意味では、自分たちなりに宇宙にもアプローチができたらいいなと思っています。

矢島:才能があって、似ているけれどもいい感じで違う持ち味のあるお二人のバランスがビジネスパートナーとしては最高にいい相性なんでしょうね。今後の活躍からも目が離せません。いつか一緒にまた何かをつくりたいな。今日はありがとうございました。

加藤 大直
Hironao Kato
Genkei代表
Genkei 共同代表 兼 RepRap Community Japan 代表、New York Parsons美術大学BFA卒
大学 卒業後現地にてプロダクト/インテリアデザイナーとして従事。帰国後RepRap Community Japan共同創設。その後Genkeiを共同創業、国内初の組立てられる3Dプリンターatom発表や、組立てワークショップを全国開催し日本における 個人用3Dプリンター導入の先駆となる。現在は、コンセプトを主としたプロダクトデザイン活動から人間の六感とデジタルを融合させる研究、製 作活動を行っている。
http://genkei.jp
千村 宗幹
Hiroki Chimura
Genkei代表
Genkei 共同代表
専門学校ヒコ・みずのジュエリーカレッジを卒業
卒業後専門学校ヒコ・みずのジュエリーカレッジの副手講師を勤め任期を終えた後、ジュエリー制作をするにあたって新しい可能性を求め3Dプリンターに興味を持ち、個人用3Dプリンターの先駆者である加藤大直とGenkeiを共同創業、現在はこの技術を使ったもの作りの考案に勤しんでいる。
http://genkei.jp
矢島 沙夜子
Sayoko Yajima
KLOKAアートディレクター/デザイナー
アートディレクター/デザイナー
東京生まれ。クリエイティブスタジオKLOKAに所属しインスタレーションやウィンドウディスプレイ、プロダクトのディレクション、グラフィックデザインを中心に活動中。「7つの大陸と猫の舌」という物語をベースにした作品なども不定期に発表している。錬金術をテーマにしたチョコレート工場のような企画や、架空の浮島のジオラマなどにそのストーリーを展開するなど、ファンタジックな作風が特徴。表参道ヒルズクリスマスツリーの演出/デザインやPARCOポスターのディレクション、2014年よりKLOKA PRODUCTSとしてアクセサリーブランドもスタートした。
http://www.kloka.com