Qorretcolorage - コレカラージュ

彩り重ねるコレカラの人生
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WONDERFUL NIPPON

〜ART meets BUSHIDO〜
アーティスト
デビット・スタンリー・ヒューエットさん

Text : Masami Watanabe
Photo : Rumi Usui

デビットさんは、日本で最も活躍中の外国人アーティストのおひとり。「武士道」をテーマに繰り広げる独特のアートは、国籍を問わず、多くの人の心をつかんでいます。都内では、帝国ホテルやホテルオークラ、ザ・ペニンシュラ東京といった国際的なホテルのロビーや客室に飾られているので、見かけたことのある方もいらっしゃるかもしれません。東京、渋谷区神山町のレストランPATINA STELLAで行なわれたチャリティアートイベントにお邪魔して、デイヴィッドさんのお話を伺いました。
日本人よりも日本のことをよく知り、日本と日本文化をこよなく愛してくれているデビットさんから「日本って素晴らしい!」を再発見させて頂きましょう。

コレカラージュ(以下、コレ):デビットさんは日本に住んで長いと聞いていますが、そもそもどうして日本に興味を抱くようになったのですか?

デビット氏(以下、デビット):僕は14歳の時に、当時住んでいたニューヨークで空手を始めたんですね。僕はニューヨーク郊外の農場で育ったんですが、地元で沖縄がルーツの空手「一心流」をずっと習っていました。そして、同じ14歳から陶芸も始めました。僕の家族はみんな芸術家なので、なんとなく陶芸は育つ環境の中で興味を持つようになったという感じです。

コレ:ご家族は皆さんが陶芸家?

デビット:母は画家で、兄(長男)が建築家(彫刻家)。そして、真ん中の兄がジャズシンガーなんです。父だけが普通の仕事(笑)。母の影響で、僕たち兄弟は“何かをつくること”がいつも身近なことだったんですね。たまたま僕は陶芸と空手を子供の頃からずっとやっていたので、始めた当時からずっと日本には興味がありました。大学2年の時に日本陶芸の個展を初めて観に行きました。北九州に「高取焼」という焼き物があるんです。今まで高取焼の歴史の中で外国人の弟子はひとりしかいないのですが、その人がマサチューセッツで個展を開いていたので、それを観に行って、「これは日本に行かなくちゃ!」と直感的に思いました。僕は当時、マサチューセッツ大学に通っていましたが、北海道大学が姉妹校であったので交換留学プログラムに申し込み、次の夏には日本に勉強をしに来ました。

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コレ:それで、そのまま日本に居続けたのですか?

デビット:日本には1年だけ滞在して、一度アメリカに帰りました。僕の家族以外は、おじいちゃんや従兄弟たち、親戚はほとんどがみんな銀行員だったので、父にも「銀行員になりなさい」と強く言われていたんです。随分悩みましたが、どうしても芸術家になりたくて、そのためにも日本に再び行きたかったので、日本で安田信託銀行の研修プログラムに3ヶ月間参加することにして、それを修了してから、父に「やっぱりどうしても芸術家になりたいですといって陶芸と絵の勉強を続けることにしました。つまり、1990年にマサチューセッツ大学を卒業し、日本にすぐ戻って来たことになります。銀行での研修後は、そのまま日本に残り、陶芸を勉強して、絵を描いて、初めての個展を吉祥寺で開きました。

コレ:マサチューセッツ大学では何を専攻されていたのですか?

デビット:大学の専攻は日本史。ずっと陶芸を勉強しながら、並行して日本史も勉強していました。絵は幼少の頃から母と一緒にずっとやっていたので、今続けているのもとても自然な流れです。僕はとても変わった経歴かもしれませんが、大学を卒業後、日本に来て陶芸を4年くらい勉強してから再びアメリカに帰り、アメリカ軍の海兵隊に入隊したんです。そこで4年間を過ごしました。その後に、またすぐに日本へ戻りましたが、その時は父からずっとやるように勧められてきた証券マンとして働き始めました。証券マンは12年もやっていましたね。その間もずっと絵と陶芸は続けていて、三田に300平米くらいのギャラリーとアトリエ持っていたんです、実は。金融関係の仕事に就きながら、古川橋の近くに別の会社(兼ギャラリー)も持っていて、当時からアートの活動もスタートさせていたんです。帝国ホテルのスイートルームを全室とかプリンスホテル、ホテルオークラなど、数々のホテルやレストラン、大手の会社のロビー等に作品を購入頂いて、ずっと応援してもらっていました。

コレ:すごい!どちらが本業かわからないくらいですね(笑)。当時から既に今の作風で?

デビット:屏風をキャンバスにするようになったのは2012年からです。ずっと屏風が好きだったので、屏風の勉強を当時から本格的に始めました。屏風は作るのがすごく楽しい。なんと平安時代から作り方が変わっていないんですよ!金属の釘は一切使わないから、竹を使って自分で骨から全て作ります。その作業は楽しいけれど、現代では作るコストが結構高くつく。だから売ると高い。高額だからなかなか売れないし、屏風は置く場所を取るから売りにくい。だからね、もっとみんながこの素晴らしい日本の伝統芸術・職人技術をどうやって知って、どうしたら楽しめるだろうかとずっと考えてきました。そこで行きついたのがキャンバスに金沢の純金箔・金沢箔を使う技法。

コレ:確かに、金箔や屏風はデビットさんの代名詞でもありますね。でもどうして「BUSHIDO」シリーズ?

デビット:昔ね、2004年くらいに「武士道」という元軍人や空手道など、つまり「サムライ」について綴った日本史を勉強したんですね。サムライってすごい!とビックリした。それまでの僕は、サムライもアメリカの軍人のようなものかなとどこかで思っていたけれど、サムライは海兵隊とは比較になりません。サムライには気品がある。サムライは戦うだけでなく、お茶を点てたり、詩を書いたり、とても文化的。着物も着ますね。すごく高尚なイメージを感じました。その魅力と不思議さに魅せられて、2004年からは“武士道”を3色だけで表現してみようと思って、このシリーズが誕生しました。

コレ:なるほど。確かに昔のサムライには気品や独特なクラス感はありますよね。でも、どうしてそれが金と黒と赤なのでしょう?

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デビット:僕の中では、金は「品性や伝統」、赤は「情熱や刺激」、黒は「規律や自制心」のイメージでずっと描いているんです。各作品のタイトルは戦いや日本史から、イメージに近いものを探して名付けています。ここに使われている全てが金沢の本金箔です。

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Grace

コレ:すごい!「BUSHIDO」には陶芸作品もありますね。

デビット:はい、ここにあるものは磁器です。この磁器の特有の白と金の組み合わせが僕はとても好きなんです。

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Bushido

コレ:ちょうど先日、佐賀県の有田町に行ってきたんです。第15代柿右衛門さんをはじめ、多くの窯元さんにお会いして、工房を見せて頂きました。磁器って素晴らしいなと思いましたね。デビットさんは、陶芸は磁器がメインですね?屏風絵(絵)と陶芸の比重はどうなんですか?どちらの作品が多いのかしら?

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Bushido

デビット:絵も陶芸もずっとやり続けているから、僕の場合はミックス。でも、どちらかというと、“陶芸家で絵も描く”という感じなのかもしれない。絵は「描く」というより、「つくる」というイメージで、職人っぽいかもしれません。

コレ:どちらが好きですか?

デビット:どちらも甲乙つけがたいくらい好きです。長年続けているライフワークです。

コレ:そう言い切れるのは、素敵なことですね。器と屏風(絵)以外にも2016年は新たに何かスタートすると伺いましたが?

デビット:そうなんです。絵でも陶芸でもない、僕にとっては新しい分野のモノづくりがスタートします。まだお見せできませんが、男性用の着物を作ります。過去にも帯はデザインしていますし、実は、全国の高島屋で2008年に一番売れた帯をデザインしたのは僕なんですよ。

コレ:着物のデザイン!素晴らしいですね。帯のお話もすごい!デビットさんは、どうしてそこまで日本の文化やモノに惹き付けられるのでしょうか?

デビット:だって、ものすごくポテンシャルを感じませんか?僕は日本文化全般を、そして日本人をとても尊敬しています。職人の規律、まじめさ、そういうところがたまらなく素敵だと思っています。だから、僕の日本に対する興味はそこから来ていると思います。ですが僕はね、日本人になりたいとは思っていないんです。僕は、アメリカ人の現代芸術家という立場で、日本芸術・美術の恩恵に預かり、部分的にその技法を用いる事で、自らの作品を作らせていただいていると思っているんですよ。屏風に関しても、その作りには伝統技法を忠実に用いてはいますが、デザインはかなり抽象的なものなんですよ。

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コレ:ご自身のポジショニングはそういう位置付けなのですね。すごく納得です。ところで、作品のタイトルは先程、イメージに近いものを日本史や戦いの名称からつけると仰っていましたが、どんな風にイメージは湧くのですか?まず、何かにインスパイアされてから作品作りを始める?それとも作っているうちにイメージが固まってくるのかしら?

デビット:だいたいは描く前にイメージが決まりますね。座禅をしながらイメージが固まることが多い。瞑想したその瞬間に、どんな感情が湧くか、その時にどういう気持ちで描きたいと思うか。それだけ頭にイメージできると後は結構自由に描きながら出て来たものをまとめていきます。でもね、僕は線やボーダーを4歳から描いているの(笑)。僕のアトリエには、6歳の時に描いたボーダーの絵が飾ってあるんですよ。

コレ:そんな幼少の頃から「線」をベースに描く、今のスタイルの片鱗が見えていたのですね!(笑)

デビット:そう。昔から、僕は線が強い絵をよく描いていましたね。

コレ:色使いはどうですか?昔はもっとカラフルでした?

デビット:そうですね。いろんな色を使っていましたね。

コレ:最近では座禅をしているとなんとなくテーマが降りてきて・・・

デビット:そう、その時点でほぼ大枠のイメージは決まる。けれど、金箔はすごく面白い素材だから、作りながら色々なことを箔が教えてくれる。こんな風になりたいよって(笑)。

コレ:この背面が透けている、抜け感というのは、製作の際にナチュラルにこうなったものを生かしているんですか?

デビット:それは箔を貼る時に手でわざと削って、割って、作り出したものです。この感じは、多分僕しかやっていないと思いますね。綺麗に貼るのもいいんだけど、こういう感じも箔ならではのテクスチャーだし、面白いと思っています。実はこのやり方は、僕が大昔の屏風を見ながら、それを再現しようと試行錯誤していた際に偶然誕生した作風。日本には12世紀〜13世紀の素晴らしい屏風が残っていますよね。基本的に、丁寧でつくりがいいから残っている。でもね、どうしても一部の箔が剥がれてくるんですね。でも、僕はそれがとても綺麗だと感じました。剥がれたところからは、下地の和紙や顔料が見える。その、ちょっとだけ剥がれた落ちた感じが美しくて、どうしたらあの感じを表現できるかなと思ったのがきっかけ。

コレ:今回のこのインタビューは、「日本の再発見」をテーマにしていて、「日本にはこんなに素敵な物や人」、「場所がある」、「こんなに日本文化は面白いんだよ」ということを様々な方のお話から伝えていきたいと思ってスタートした連載です。外国人のデビットさんから見て、日本のここはやっぱり面白いよね、というポイントを聞かせて頂けますか?

デビット:僕の妻は日本人で、彼女がお茶と生花、懐石料理をやっているので、僕は日々の生活の中においても、とても「和」に触れる機会が多いと思いますが、日本にははっきり言わなくても通じる文化がいっぱいあるように感じます。今の時代にもまだそれがたくさん残っているように思う。

コレ:阿吽の呼吸のようなことでしょうか?

デビット:そうですね、それもありますね。多分、日本人はみんな育つ過程でそういうものを吸収し、身につけているのだと思います。例えば、生け花を勉強した事がなくても、左右対称ではない絶妙なバランスで活けられた花が美しいと感じる事ができるでしょう?美術品でも同じで、和風のものかそうじゃないかは特に美術に造詣が深くなくても、日本人はみんなどこかで感じ取り、分かる。そういうの、とても日本人は面白いし、良いなと思います。

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コレ:確かに、言われてみると、日本は「察する文化」ということが言えるかもしれませんね。

デビット:あとは、日本は何かのブームをつくったり、外国からきたものをオリジナルにしてしまうのが上手だと思います。日本は島国だったので、多くのものは外国から入ってきていますよね?例えば、パンは元々はポルトガルのもので、コロッケはオランダからのもの。屏風だってそう。元々は中国から来たものですね。だけど、すべて「日本らしいもの」になって、いつの間にか独自のものになっています。これは本当にすごいと思いますね。

コレ:確かになっていますね。

デビット:それもね、そのまま外国のものじゃなくて、ソーセージが入っているパンとかカレーパンとかにもなっているでしょう?(笑)
そういう日本ならではの試行錯誤のプロセスが面白いですよね。鎖国していた時代と違って、現在は外国人も、外国のものも、文化も、どんどん入ってきている。きっとこれからまた日本は外国の文化を上手に吸収していくのでしょうね。どんなものが登場するのか、それを凄く楽しみにしています。

コレ:デビットさんが最初に日本にいらっしゃった時と、学生が終わって再来日した時、そして今とでは、こういうところは変わってきたな、と感じる点はありますか?日本が変わった点と、ご自身が長く日本に滞在したことによってこんな風に変わったとか、何か気づいたことはありますか?

デビット:僕が初めて日本に来たのはもう30年以上前ですからね。当時、外国人はもっともっと珍しい目で見られていましたよ。だから、最近では日本人も外国の文化や外国人に慣れているなと、感じます。東京はあまり変わらないけれど、先日、札幌の三越で個展を開いた時にそのことを強く感じました。僕が北海道大学にいた1988年当時は、北海道には外国人があまり居なかったし、普通に道を歩いているだけで「サインください」「写真を一緒に撮ってください」と言われるような時代でした(笑)。それに比べると格段に国際的になった気がします。特に地方がね。

コレ:なるほど。そうかもしれませんね。デビットさんは現在はどちらにお住まいなんですか?

デビット:軽井沢です。絵の仕事はほとんど東京、大阪、名古屋などの大きい街が中心になっていますが、子供のために良い環境をと考えて軽井沢を選びました。僕自身が田舎育ちだから、絶対に子供にもそういう環境と経験を味わってもらいたかったんですね。軽井沢なら新幹線で簡単に東京にもアクセスできるし、十分に通勤圏内です。もう東京から拠点を移して7年になります。

コレ:お子さまはお幾つなんですか?

デビット:5歳児がひとり。

コレ:一緒に絵を描いたりしているんでしょうか?

デビット:しますよ。すでに陶芸もやっています。同じ敷地に家とアトリエとギャラリーがあって、焼き物の窯は3つあります。現在の創作活動は、ほぼ全てが軽井沢です。だから、そこで子供も一緒に絵を描いたり、土をこねたりしています。

コレ:創作活動は、どんな風に進めるのでしょう?毎月毎月、コンスタントに作品を作るのでしょうか?それとも、自分に創作の力がワーーッと湧いた時に、集中して作品を生み出すのですか?

デビット:そうそう、作りたいものが浮かんだ時にワッと作ります。陶芸はプロセスがあるから、1日だけではできないんですね。だから、土をこねて、形を作って、乾燥させて、それで削って、それから素焼きして、釉薬をつけて、本焼きして…。さらに、釉薬をつけてもう一回焼く。陶芸には、そういったプロセスがあるから、陶芸に集中するときは2ヶ月くらいの間、ずっと陶芸をやっていることが多いです。

コレ:なるほど。そうですね。たしかに、陶芸は多くの工程を必要としますね。では、絵の時はいかがですか?

デビット:絵はいつでもできるので、コンセプトが湧いたらすぐに創作しています。例えば、それが陶芸に集中している期間だとしても、陶芸のその日のプロセスが終われば、じゃあその後はちょっと絵をやりましょう…と、できますからね。

コレ:先程、座禅をしているときにコンセプトが降りてくると仰っていましたけれど、軽井沢で目にする自然からもよいインスピレーションが浮かびそうな気がしますが、そういうこともあります?

デビット:そうですね、それもあります。森の中に住んでいますから、自然の中をよく散歩します。直接的に木や自然の風景を描くことはありませんが、自然から受ける作品への影響は絶対にあると思いますね。僕の作品は、特に、焦ったり興奮すると良い絵が描けない。ちょっと座禅をして、心を落ち着けてから描いた方が断然良いものが出来ると思っているので、「描かなきゃ!」とか「作らなくちゃ!」とは思わないようにしています。できるだけ静かな場所で、できるだけ心を静めるように日頃から心がけているかもしれませんね。

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コレ:屏風絵(襖絵)と言えば、7月に高知県赤岡町の“絵金祭り”に参加してきたんですが、1年に一度だけお目見えする屏風絵(襖絵)をろうそくの明かりに照らして観て回るというお祭り。昔、江戸の時代に、腕のいい日本画家で絵金という男がいたそうで、でも彼はあるとき、贋作の疑いをかけられて江戸から追われることになる。着の身着のまま、逃げて辿り着いたのが現在の土佐。現在の高知県、赤岡という小さな町に身を寄せて、彼はそこで隠れながら絵を描き続けたそうです。ご存知ですか?なんだかデビットさんから屏風のお話を伺っていたら、絵金さんが浮かんできてしまいました(笑)。

デビット:へぇ、知りませんでした。そのお祭りでは、屏風を外に出して観るのですか?

コレ:そう。外で観るんです。普段は、赤岡の一般のご家庭で所有されているものなんです。それが年に一度だけ、夏の決められた週末に2日間だけ公開されます。オリジナルは、傷めてはいけないので、日が暮れないと外に出せないんですね。だから、日が沈んでから蝋燭の炎に照らして観て回る。とても風情があり、とても不思議な感覚を覚えるお祭りです。

デビット:どのような屏風絵(襖絵)なんですか?興味ありますね。

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コレ:絵金さんは狩野派の傾向を受け継いでいるので、狩野派の日本画がベースなのですが、少し不思議な画風の芝居絵です。全般的にちょっとおどろおどろしい印象で、生首とか、血痕とかが描かれているものが多い。背景に風刺や皮肉を込めた描写があったり、いくつかの別の時間帯の描写が同じ絵の中に描かれているので、ちょっと3Dのような、当時としてはかなり画期的な作品だったのだと思います。普段は絵金蔵博物館でレプリカを観ることはできますが、この時だけはホンモノが出るので私はラッキーなことに両方を見ることができました。やっぱりレプリカと原画とでは色合いや迫力が全然違いましたね。何か、ホンモノは観ていると臨場感が物凄かった!迫ってくる何かを感じました。なんだか、ワッと迫ってくるんですね。

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デビット:金箔も夜のほの暗い中で観るのが一番良いと思っています。絵金さんの屏風絵は観たことがないですけど、昔は夜になると今よりも明かりが暗かったから光を屏風に反射させて、部屋全体をちょっと明るくみせていたそうです。だから、きっとそのロウソクの炎くらいの明るさで屏風絵を観るとより美しく映えるのではないでしょうかね。

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コレ:なるほど。そう言われて見ると、確かにそうなのかもしれませんね。そう言えば、先程、デビットさんは心が静かな時でないと描けないと仰っていましたが、絵からは物凄いエネルギーを感じますよね。エネルギーに満ち満ちて創作しているような印象を受けます。でも、落ち着いた心境で描いていらっしゃるんですよね?

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デビット:そうです。いつも静かな気持ちで作品に取り組みます。

コレ:お話を伺ってから改めて拝見すると、とても不思議な感覚です。様々な感情が見てとれる気がしますね。デビットさんは、ご自身のアートを通じて、日本人の私たちに「ここ気づいて」とか、「もっとここを見直して欲しい」とか、何かそう言った思いはありますか?

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Fearless

デビット:金箔や日本画の顔料など、素材の面白さを再発見して欲しいなと思います。もちろん、僕は外国人にこの文化を紹介したいと思っているし、それは僕のライフタイムミッションだと思っています。だけど、日本人も案外日本のものなのに、ずっと身の回りにあったはずなのに、知らない。よくね、「どうしてそれほどまでに興味を持っているの?」って不思議がられるけど、本当に素敵な技法だと思いますし、箔っていう素材はすごいんですよ。

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Victory

コレ:世界に向けても展覧会等を積極的に開催していらっしゃるのですか?

デビット:はい。アメリカのボストンやシンガポールで個展をやったり。近いうちに計画しているのが台湾とニューヨークでの展覧会です。世界での日本文化の評価はとても高いです。だから、日本人の皆さんにももっと胸を張って「日本の歴史や文化って良いもの!」と言ってもらえるようになったら嬉しいですね。

コレ:日本にいると、当たり前のものが見えなくなってしまうのだと思います。そして、意外と勉強不足なことが多いのかもしれないですね。

デビット:うーん、僕は勉強不足なんじゃなくて、本当は知ってるけれどシャイだから強く言わないのではないかと思うんですよね。

コレ:それもあるかもしれません。でも、私自身も含めて、知っているようで案外ちゃんと知らないことも多いのも事実です。

デビット:着物も、もっともっと男性にも女性にも着てもらいたい。もっと着たらいいのに!と思います。

コレ:普段から、デビットさんはお着物を着られることが多いのですか?

デビット:着物は結構持っていますよ。レストランや神社に行くときには着ます。でも、普段は作務衣が多いです。麻の作務衣とか、お洒落な作務衣とか、色々なタイプのものを持っています。着ていて楽だし、動きやすい。気分的にも和の世界に入りやすいので、絵を描くときも、器を作るときも着ています。

コレ:和装って、とっても理に適っていますよね。これから2020年の東京オリンピックも控えていますから、日本がもっともっと注目されていくと思うんですが、それにあたってデビットさんはどんなことを考えたりしています?

デビット:日々、コツコツと自分自身で日本の伝統を再発見できるように頑張りたいですね。そして、それをもっと皆さんにも広げていきたいです。だから着物をデザインするんです。その詳細は今はまだ言えないけれど、ワクワクするプロジェクトを考えていますよ。「日本って素晴らしいな」と2020年には、改めて感じていたいし、その思いをもっと広くみんなと分かち合っていたいです。

コレ:是非、日本の良いもの、良いところ、良い伝統をデビット流にバンバン発信して頂きたいです。
ありがとうございました。

Ekin Photo : Masami Watanabe
Restaurant Photo : PATINASTELLA

撮影協力:PATINASTELLA
東京都渋谷区神山町11-15 神山フォレスト1F
http://patinastella.com/

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デビット・スタンリー ヒューエット
David Stanley Hewett
アメリカ、ニューヨーク郊外出身のアーティスト。作品は帝国ホテル、ホテルオークラ、ペニンシュラホテル、三井物産をはじめ世界中でパブリックまたプライベートコレクションとして保有されています。 1992年以降は、日本、アメリカまたシンガポールにおいて主な展覧会を開催しており、日本で最も知名度の高い外国人アーティストのうちの一人。初めて日本の地を踏んだのは1988年で、日本のアートと文化に魅せられて日本の陶芸や伝統的な絵画、帯のデザインまたとりわけ伝統的な日本の屏風をつくる手法を学びました。元米海軍海兵隊員の経歴と長年の間日本の空手の実践者でもあるため、日本の武術の歴史と文化に魅せられてきました。武士道の侍的規律や日本の神道が過去10年の作品に多大な影響を与えています。金、真紅や青の色使いは錆びついた真鍮があり色褪せた絵画が木材に描かれているような日本の神社への訪れを連想させ、作品は大胆であると同時に心を穏やかにすると感じるファンが多い。
http://www.davidstanleyhewett.com